広袴陣所(ひろはかま)
 別称  : 殿家
 分類  : 山城
 築城者: 不明
 遺構  : なし
 交通  : 小田急線鶴川駅よりバス
       「鶴川6丁目」バス停下車徒歩5分他


       <沿革>
           多摩地域の旧地名を収集・紹介しているブログサイト『谷戸めぐり』によれば、鶴川団地となっている
          鶴川6丁目8番地付近に、「殿家」や「殿入」、「陣所」といった城郭関連地名があったという。字殿家に
          ついては武家が住んでいたとする伝承が残るというが、いかなる武士であったかは不明である。
           このほか、広袴村の真光寺川に面したところに「小左衛門屋敷」の小字が、また広袴村に隣接する
          真光寺村と能ヶ谷村に、それぞれ「馬場」と「的場」の小字があったという。

       <手記>
           『谷戸めぐり』さまによれば、鶴川団地8番地エリアの北西隅あたりを殿家といい、その下の交差点
          付近を殿入と呼ぶそうです。また、同エリアの南東隅(集会所の東側)付近が字陣所だそうです。
          城館があったとする確証はありませんが、地名を見るに可能性は十分に考えられると思われるので、
          とりあえず「広袴陣所」と仮名をつけて掲載しました。
           団地として造成されているので、遺構の有無はおろか旧地形をうかがうのも困難ですが、古地図と
          照らし合わせてみると、東へ延びる細い尾根の頂部に位置していたようです。余り広いスペースとは
          いえず、領主がいたとしても、ここに居館を設けていた可能性はおそらく低いと思われます。
           したがって、城館があったとすれば、館というよりは物見台や狼煙台のような小規模な城砦だろうと
          考えられます。あるいは、合戦があった際に陣が設けられたのかもしれません。ここから尾根を遡った
          西には、大蔵館の伝承のある字御廓があります。
           殿家から真光寺川へ下った河岸に残る小字小左衛門屋敷は、現在は田圃になっているようです。
          これを城館関連の地名とみるかは微妙なところですが、周辺には広袴村では貴重な平地が広がって
          います。小左衛門屋敷付近から殿入へ上る坂道を「シロ塀坂」と呼んでいたそうで、現在も旧道として
          残っています。これも、城郭関連とみるかどうかは五分五分といった感じですが、字殿入へ至るルート
          であったという点は、留意すべきかと思います。
           さらに、上の地図に示した殿家の南東と北西のやや離れたところに、それぞれ的場と馬場の字名が
          あったとされています。どちらも完全な住宅地となっています。字殿家とは離れているので、これらも
          城館と関係がある地名なのかどうかは分かりません。字的場は、字殿家の尾根の先端麓にあたり、
          広袴村の入り口でもあります。また字馬場は、古地図によれば尾根先の斜面が扇状に緩やかに展開
          している箇所だったようで、単純に馬産地だったのではないかと推測されます。

           
 字殿家・殿入付近現況。
字陣所付近のようす。 
 字小左衛門屋敷のようす。
シロ塀坂か。 
 字馬場付近のようす。
字的場付近のようす。 


BACK