日和田館(ひわだ) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 安積伊東氏 | |
遺構 : 不詳 | |
交通 : JR東北本線日和田駅徒歩10分 | |
<沿革> 曾我兄弟の仇討ちで知られる工藤祐経の次男祐長は、建暦三年(1213)の 泉親衡の乱での功績により、安積郡を与えられた。日和田館は、鎌倉時代に 下向した祐長の子孫によって築かれたとされるが、詳細は不明である。 日和田の安積伊東氏は代々伊東(安積)左衛門を称したとされ、江戸時代 中期の『奥陽仙道表鑑』によれば、畠山氏に転じた高倉城主高倉氏詮を田村 清顕が攻めた際、城方がこれを撃退し、日和田館の伊東左衛門も畠山氏に 降ったとされる。 その後、左衛門は天正十八年(1590)の奥州仕置で所領を失い、浪人して 当地で最期を迎えたと伝わる。日和田館も、左衛門の没落を以て廃されたと みられる。 <手記> 日和田駅のすぐ裏手にある丘が日和田館跡です。麓まで行くのは容易です が、まず上の地図にあるとおり北側から向かってみたものの、城山の斜面は 一度草を刈った跡の、なんとも形容しがたい低い藪に覆われ、登る手がかりも 見当たりませんでした。 今度は南側に回ってみると、住宅地の先の突き当りから階段があり、上まで 登ることは可能です。しかし、その先は矢竹のド藪で進めず、ここでリタイアと なりました。一応、階段の脇に人工の切岸状地形が見られます。 |
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北側斜面のようす。 | |
南側斜面の階段。 | |
階段を登った先の切岸状地形。 | |
その先はド藪。 |