北条氏館(ほうじょうし)
 別称  : 北条氏邸
 分類  : 平城
 築城者: 北条氏
 遺構  : なし
 交通  : 伊豆箱根鉄道韮山駅徒歩20分


       <沿革>
           源頼朝の岳父北条時政の居館とされる。北条氏は桓武平氏流を称し、平直方ないし
          平維衡を祖とするとされる。だが、時政の祖父時家以前の系譜は定かでなく、その出自
          を疑問視する見方も強い。北条氏館は北条氏の初代当主によって築かれたものと推測
          されるが、いつごろ誰によるものかは不明である。
           時政は、頼朝の挙兵から鎌倉幕府の創設・確立に至るまで重要な役割を果たし続け
          てきたが、後妻に牧の方を迎えてからは、謀陰の挙が目立つようになった。元久二年
          (1205)の牧氏事件で失脚すると、時政は本領の伊豆北条への隠退を余儀なくされた。
           執権制度が確立してからは、北条一族は基本的に鎌倉に在府していたものと思われ、
          伊豆の館がどのように扱われていたのかは定かでない。元弘三年(1333)に鎌倉幕府
          が滅亡すると、北条高時の母覚海円成が一族の女性を引き連れて本貫地伊豆に退去
          し、北条氏館跡に円成寺を開いたとされる。したがって、遅くともこのときに館としての
          機能は廃されたことになる。


       <手記>
           伝堀越御所跡の南西、守山と狩野川に三方を囲まれた窪地が、「北条氏邸跡(円成
          寺跡)」として国の史跡に指定されています。現地はただの草っ原なうえに立ち入りも
          禁止されていて、石碑や説明板のほかに見るべきものはありません。また、説明板を
          読む限りではここを北条氏館跡と断定するだけの証拠は見つかっていないようです。
           地形的には当時の開発領主の居館跡としてありうべき場所ではありますが、北条氏
          の権勢や伊豆国の有力者という立場を考えると少々陰に籠りすぎているような感じも
          あります。印象としては願成就院付近の方が相応しいようにも思えます。
           史料にしたがうならば、北条氏館と円成寺と堀越御所は基本的に同じ場所にあった
          ものと推測されます。なので、三者を別々に史跡指定することはいたずらに混乱を招く
          だけで、あまり望ましいことではないように感じられます。総括的な発掘調査が行われ
          るよう期待するところですが、地権の問題があるようで残念なところです。

           
 史跡北条氏邸跡碑。
比定地周辺現況。 


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