桙衝館(ほこつき) | |
別称 : 古館、鉾月楯 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 二階堂氏か | |
遺構 : 土塁、堀 | |
交通 : JR東北本線須賀川駅からバスに乗り、 「古舘」下車すぐ |
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<沿革> 『日本城郭大系』によると、『松平結城文書』所収の暦応三/興国元年(1349)十月の 「北畠親房袖判秀仲書状」に、「鉾月楯合戦の事」とあるのが初出とされる。この合戦は、 二階堂時藤の岩瀬郡西部の所領が、親房の次男顕信の御料所とした上で結城親朝に 与えられたため、現地の抵抗を招いたものと推測されている。時藤は、鎌倉幕府の政所 執事であった二階堂行藤の子で、戦国時代まで続いた須賀川二階堂氏とは別流とみら れる。また、『飯野文書』所収の貞和三/正平二年(1347)九月「伊賀盛光軍忠状」に よれば、同年七月に北朝方の盛光が桙衝館に入ったとされる。 戦国時代には、須賀川二階堂氏家臣塚原伊予が城将であったと伝わる。 <手記> 桙衝地区の中心は桙衝神社の麓だと思うのですが、桙衝館はそのひとつ隣の古舘と いう集落にあります。江花川の河岸を利用した北辺の堀と土塁が残っていて、北西隅は 櫓台状の高まりとなっています。 桙衝館の東隣の矢田野地区には、二階堂氏庶流矢田野氏の矢田野城があります。 矢田野氏は二階堂氏の有力一門であり、その居城とあまりにも近接していることから、 桙衝館は矢田野城の支城でもあり、塚原伊予も直接的には矢田野氏の指揮下にあった のではないかなと、直感的に思いました。 |
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北辺の土塁。 | |
同じく土塁を城内側から。 | |
北西隅付近の土塁。 | |
北辺土塁下の堀跡。 |