矢田野城(やたの) | |
別称 : 矢田野館 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 矢田野盛秀 | |
遺構 : 堀 | |
交通 : JR東北本線須賀川駅からバスに乗り、 「矢田野下」下車徒歩3分 |
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<沿革> 二階堂氏庶流矢田野氏の居城である。矢田野氏は、須賀川城を築いたとされる 二階堂為氏の弟盛秀にはじまる。 天正十七年(1589)の須賀川城攻防戦に際し、当主矢田野義正は一族の矢田野 隆行と矢田野秀行を須賀川城へ送り、自身は矢田野城に籠城したとされる。戦後、 義正は大里城に立て籠もり、二階堂氏を滅ぼした伊達政宗に徹底抗戦を続けた。 このとき、矢田野城は伊達勢に接収され、廃されたものと推測される。 <手記> 上の地図やグーグルの衛星写真を見れば、今も外周の堀跡が水路としてそっくり 残っているのが分かります。郭内の第4象限部分には公民館があり、その北西隅に 土塁状に高まった社の跡も見受けられます。 水路に囲まれた面積は、屋敷には充分ですが、籠城して伊達軍を迎え撃つには 広いとはいえません。かつては外側にもう1郭あったか、北西に近接する桙衝館と 連携していたものと推察されます。 ちなみに、矢田野氏の読みは「やだの」「やたの」と両方あるようですが、現在の 住所は「やたの」です。また、義正の父行義までは「箭田野氏」と表記していたとも いわれます。 |
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北西隅付近の堀跡。 | |
西辺の堀跡。 | |
北辺の堀跡。 | |
郭内北西隅の社跡。 土塁の痕跡か。 |