堀川城(ほりかわ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 斎藤為吉ら
 遺構  : なし
 交通  : 天竜浜名湖鉄道気賀駅徒歩10分


       <沿革>
           永禄十一年(1568)に徳川家康が遠江侵攻を企て、井伊谷三人衆を味方に引き入れると、
          斎藤為吉や尾藤主膳、新田四郎、武田右京、山村修理といった反徳川の土豪が結集して
          堀川城を築き、徳川勢に備えた。翌十二年(1569)三月、本格的に攻め込んできた家康軍に
          対し、土豪衆は付近の農民も糾合して約2500人で堀川城に立て籠もった。家康は仮借なく
          城を攻め立て、為吉は討ち死にして落城した。約700名が捕虜となり、全員処刑され、彼らの
          首は獄門畷に晒されたと伝わる。堀川城も、そのまま廃されたとみられる。


       <手記>
           上に示した場所に城址碑や説明板が建っていますが、城の正確な位置は今も分からない
          そうです。城址碑と並んで首塚があり、これにより付近が城跡と比定されているのでしょう。
          浜名湖の湖水ないし湿地帯に囲まれた平城であったことは容易に想像できますが、周囲は
          一面の水田地帯となっています。
           このようなところに2500人も立て籠もって、どれほどの抵抗ができたのだろうと疑問に感じ
          てしまいますが、おそらくは水運を通じて南西の堀江城との連携を図ったものと思われます。
          ちなみに獄門畷は、北の姫街道沿いに残っています。

           
 堀川城址碑。
首塚。 
 説明板。
周辺現況。 
 獄門畷。


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