ホルンベルク城 ( Burg Hornberg ) |
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別称 : なし | |
分類 : 山城(Höhenburg) | |
築城者: 不明 | |
交通 : ネッカーツィンメルン駅徒歩15分 | |
地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 築城の経緯については詳らかでない。ホルンベルク城が初めて史料に現れるのは1184年、 ラウフェン伯家の城としてである。ただし、1123年の贈与に関する文献にゴートフリート・フォン・ ホルンベルクの名がみられるため、城が築かれたのはそれ以前であると推測されている。 1212年、ポッポー・フォン・ラウフェンが死去すると、男子がいなかったため、娘メヒティルトと 結婚していたコンラート・フォン・デュルンが城を相続した。1259年に、城はシュパイヤー司教に 売却された。 1238年、シュパイヤー司教の配下としてプファウエン・フォン・ホルンベルクの名が登場する。 前出のホルンベルク家はすでに断絶していたため、ホルンベルク領主として別家が興された ことを意味する。プファウエンの後裔は、後にホルンエック・フォン・ホルンベルク家を称した。 ただし、彼らが実際にホルンベルク城主だったとする証拠はない。 1263年から1464年にかけての200年間、借金の抵当などとして城の所有者が目まぐるしく 替わったといわれる。同時に、この間に城の整備が進められた。当時の史料によると、ホルン ベルクの山上には2つの城が存在していたとされる。1464年、城と周辺の町はルッツ・ショット・ フォン・ショッテンシュタインに売り渡された。 1474年、ホルンベルク城はルッツの主君であるプファルツ選帝侯フリードリヒ1世によって 占拠された。フリードリヒ1世が愛人と貴賤結婚したことで、ルッツとの間に不和が生じたため とされる。その後、1504年のランツフート継承戦争に乗じて、ルッツの子コンツがわずかな手勢 を率いて城を奪還した。コンツはプファルツ選帝侯と講和を結び、正式にホルンベルク城主に 返り咲くとともに、城を逐われて以降不遇を囲ってきたショット・フォン・ショッテンシュタイン家に 対する多額の賠償金を獲得した。この資金で、コンツはホルンベルク城の改築に取り掛かった。 この工事で2つの城は一体化し、今日にみる縄張りの基礎が完成した。 1517年、ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンがコンツから城を購入した。ゲッツは、文豪ゲーテの 戯曲作品『鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』で英雄的に描かれていることで知られるが、 実際には盗賊騎士と揶揄され、私闘(フェーデ)を繰り返して財を築いた人物であった。ゲッツは ほとんど戦争屋として各地の戦場に赴き、ひとたび敗れればハイルブロンで3年間監禁されも したが、平時にはホルンベルク城で生活していたと伝わる。ゲーテの作品では若くして死んで いるが、史実のゲッツは1562年にホルンベルク城で80歳を超える天寿を全うして死去している。 ゲッツの死後、家督は孫のフィリップ・エルンストが継承したが、彼は城の改築をさらに進めた ために財政難に陥り、城をハンス・ハインリヒ・フォン・ホイセンシュタムに売却せざるを得なく なった。1612年には、ラインハルト・フォン・ゲミンゲンがハンスから城を購入した。ゲミンゲンの 一家は城内には住まず、山麓に居館を築いて移った。17世紀の三十年戦争やプファルツ継承 戦争では、山上の城は諸外国の軍勢によって略奪・破壊される憂き目にあった。その後も、 山上の城には誰も住むこともなく、手入れをされることもほとんどなく、荒廃の一途をたどった。 1930年代に入り、所有者ではあり続けたゲミンゲン家の子孫が下の城を居館として改修し、 住むことになった。その後、レストランやホテルが城内に建設され、現在も古城街道で有数の 古城ホテルとして、ゲミンゲン家が経営・管理している。 <手記> ホルンベルク城は、ネッカー川とその支脈であるシュタインバッハ川の谷に挟まれた尾根上 の城です。城山のネッカー側の斜面は一面のブドウ畑となっていて、ネッカーツィンメルン駅 からブドウ畑のなかの道を登っていくと、ほどなく城に到着します。 上述の通り、城跡は現在ホテルやレストラン、ワイナリーとなっています。ただ、これらの施設 が建っているのは、主にかつて2つあった城のうち下の城にあたる部分にあたります。主城域 である上の城は今なお廃墟のままです。多くの古城ホテルが主塔をメインに改装して利用して いるのに対し、主郭一帯が朽ちたままというのは、古城址ファンとしてはかなりポイントが高い といえます。 主城域はホテルに泊まらなくても見学可能ですが、有料です。専用のコインを入れて回転式 ゲートをくぐる仕組みですが、コインはワイナリーでしか売っていません(ワイナリーは10時開店 です)。城内には、ドイツ語のみですが説明板が各所に設置されていています。主塔に登ること もでき、頂上からはネッカー川沿いの景色が一望できます。 回転式ゲートのある一の門から三の門まで、螺旋状に回って主郭に至ります。この螺旋から 外れて南の主郭外壁沿いに東へ回ると、ゲッツの時代からあったといわれるイチイの古木が あります。廃墟と古木のセットというのは、なかなか画になる構図だと思います。 泊まってもいないのになんですが、ホルンベルク城は古城ホテルとしてもなかなかオススメ です。かつて私はライン渓谷の古城ホテルに泊まったことがあるのですが、主城域を改築した 部屋だと、肝心の城跡がまったく見えないということに気付きました。しかし、ホルンベルク城は 上の城の一段麓にあるため、主城域の姿を眼前に見ることができます。古城の雰囲気を楽しむ には、むしろこの方が良いように思うのです。 |
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主塔を見上げる。 | |
ショット・フォン・ショッテンシュタイン家時代の居館部跡。 | |
礼拝堂跡。 | |
主塔からの眺望。 | |
主郭に最も近い三の門。 | |
その次に近い二の門。 | |
二の門と一の門の間にある側塔跡。 | |
一の門。今日の入場ゲートです。 | |
主城域南東隅の塔。 | |
上の城の北門。 | |
上の城から下の城を望む。 | |
ゲッツの時代からあったとされるイチイの古木。 |