シェーンブルク城
(Burg Schönburg)
 別称  : なし
 分類  : 山城(Höhenburg)
 築城者: 不詳
 交通  : Oberwesel駅よりタクシーで5分
 地図 : (Google マップ


       <沿革>
           12世紀前半ごろに、マクデブルク大司教もしくは神聖ローマ帝国によって築かれた。1149年、
          シュタールエック城主ヘルマン・フォン・シュタールエックは、当時プファルツ地方をめぐって対立
          していた元ライン宮中伯でラインエック城主オットー1世の子オットー2世を、シェーンブルク城で
          謀殺した。
           城主家であったシェーンブルク家は、神聖ローマ帝国の城代としてライン川を航行する船から
          税を徴収していた。分家することなく、一族で城を共同相続する珍しい形態をとっていて、共同
          所有者は最も多いときで約250人に達したという。全員ではないにしろ、多くが城内に居住して
          いた。そのため、城中には居住用の建物が3つと、塔が3本増築された。
           皇帝ハインリヒ7世は、1309年にオ-バーヴェーゼルやボッパルト周辺の領土を弟のトリーア
          大司教バルドゥーイン・フォン・ルクセンブルクに与えた。オーバーヴェーゼルの町を見下ろす
          シェーンブルク城も、このときバルドゥーインの支配下に置かれたと考えられている。このころ、
          城に外壁が築かれたとされる。
           1688年に始まるプファルツ継承戦争において、オーバーヴェーゼルを含めライン地方はその
          主戦場となり、翌1689年にはシェーンブルク城も戦火によって破壊された。1719年、シェーン
          ブルク家の嫡流男子が絶え、シェーンブルク城はトリーア選帝侯の所有に帰した。しかし、城は
          修復されず、廃墟のままであった。
           幾度か所有者が変わってのち、ドイツ系アメリカ人ラインランダーが城を購入し、1885年から
          1901年にかけて部分的な再建を行った。この再建には200万マルクが投じられたといわれる。
          ラインランダーは1947年に亡くなり、1950年にオーバーヴェーゼル市がラインランダーの息子
          から城を買い戻した。1957年からはヒュットゥル家が城を借り受け、ホテルとして改装されて、
          今も同家が営業を続けている。


       <手記>
           シェーンブルク城は、ライン渓谷の数少ない平坦地の1つ、オーバーヴェーゼルを眼下に望む
          丘の上に建っています。山の比高はさほどでもありませんが、山容険しく至るところで岩がむき
          出しになっていて、なかなかに要害の城といえます。ライン川の上流方面には、プファルツ城
          グーテンフェルス城を望むことができます。
           ホテルとして改装された部分も多く、壁に色がついている部分には何らかの手が加えられて
          います。築城当初からの遺構は、灰色の外壁といくつかの塔の部分です。
           私は家族とともにこのホテルに宿泊したのですが、城主気分を味わうには十分な重厚な部屋
          でした。ただ、付近に店屋は一切なく、食事はホテルのレストランを利用するよりほかないのが
          注意です。
           また、私が訪ねた時点では、送迎サービスなどもありませんでした。城へは山道を歩いて登る
          こともできますが、キャリーバックを使っていたので駅前からタクシーを呼びました。ただし、流し
          のタクシーはまずいないので、駅前に書いてあるタクシーの電話番号にかけて直接呼ぶ必要が
          あります。

           
 シェーンブルク城外観。築城以来の外壁です。
オーバーヴェーゼルの町を望む。 
 同じく城からの景色。


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