欲賀城畑城(ほしかしろばたけ)
 別称  : 欲賀城
 分類  : 平城
 築城者: 本間氏か
 遺構  : 土塁、堀
 交通  : JR東海道本線守山駅よりバス
       「欲賀」バス停下車


       <沿革>
           本間氏の居城と伝わる。『守山市史本間文書』によれば、文和二年ないし三年(1353〜54)に、
          杉江の本間又四郎が足利義詮より欲賀郷の一部を与えられたとされる。応永四年(1397)には、
          本間詮季が足利義満より欲賀郷の半分を与えられたとされる。城が本間氏の居城とすると、この
          ころの築城と考えられる。
           『本間氏系図』によれば、応安元年(1368)に本間資冬が欲賀郷公文所職に就き、応永十二年
          (1405)には資富が欲賀郷下司職にあったとされる。当城南東の欲賀城主寺田氏も、永和三年
          (1377)に欲賀の公文所職に就いているが、両者の関係については不明である。
           応仁元年(1467)ないし文明元年(1469)には、本間重利が欲賀城を再興したとされる。資富に
          ついては「領所欲賀山賀杉江」とあることから、一時的に本間氏が居所を山賀ないし杉江に移して
          いたとも考えられるが、詳細は不明である。本間氏のその後についても詳らかでない。


       <手記>
           欲賀集落の西のはずれに字城畑と呼ばれる一帯があり、欲賀城畑城はこの周辺にあったもの
          と考えられています(上の地図の緑丸付近)。周辺は大部分が圃場整備されていますが、発掘
          調査により中世の集落跡が検出されています。
           これとは別に、字城畑から生活道路を挟んだ東側に、L字型の明らかな土塁および堀が残って
          います(上の地図の緑線)。この遺構からは、字城畑とも寺田氏の欲賀城とも別の城館の可能性
          が浮かび上がってきますが、今のところ三者の関係については不明です。

           
 L字型遺構の西辺の土塁と堀。
L字型遺構の南の土塁と堀。 
 城畑と呼ばれる一帯のようす。


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