星崎城(ほしざき) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 織田信長か | |
遺構 : なし | |
交通 : 名鉄本線本星崎駅徒歩5分 | |
<沿革> 築城者や築城年代については分かっていない。織田信長に仕えた岡田重善・重孝父子が 城主を努めていた。信長の死後、父子は信長の次男信雄にそのまま星崎城主として仕えた。 重孝は、津川義冬・浅井長時とともに三家老と呼ばれ重きを成したが、天正十二年(1584)に 主君信雄に羽柴秀吉への内通を疑われ、伊勢長島城で殺された。 跡を継いだ重孝の弟善同は城を出たため、寺部城主山口重勝が星崎城に封じられた。この 経緯については、不明な点も多い。重勝は間もなく養子重政に家督を譲ったが、重政は天正 十六年(1588)に伊勢へ移り、このとき星崎城も廃城とされた。 <手記> 東に天白川が流れ、さらに少し離れたところを東海道が走っています。西側には当時かなり 近くまで海が迫っていたと思われます。城のあった小丘は笠寺小学校となっていて、南側の 通用門脇に石碑と案内板(かなり見つけにくいです)があります。北へ300mほどのところには 寺部城があったとされ、この付近にはそのほかにも城跡が密集していて、古刹笠寺(笠覆寺) を中心に古くから栄えていた地域であったと推測されます。 遺構は何も残っていませんが、緩やかな丘城であり、安土時代まで存続していたことから、 一定の規模を持っていたものと考えられます。ただ、案内板にあるような整然とした縄張りや 立派な城門をもっていたかどうかは、江戸時代の文献に拠っていることもあり少々疑問です。 |
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星崎城址石碑。 | |
星崎城址遠望。 |