寺部城(てらべ)
 別称  : 笠寺寺部城
 分類  : 平山城
 築城者: 山口盛重
 遺構  : なし
 交通  : 名鉄本線本笠寺駅徒歩5分


       <沿革>
           山口将監盛重が、大永・享禄年間(1521〜32)ごろ築いたといわれる。山口氏は周防・長門の
          大内氏の支族で、その本拠地山口を姓に戴いたものとされる。
           盛重の子重俊は、戸部城の戸部政直を攻めたが逆に戦死し、山口氏は一時衰退した。重俊の
          子重勝は織田信雄に仕え、信雄の家老岡田重孝が羽柴秀吉への内通を疑われて殺された際に、
          重孝の居城星崎城へ入った。これにより寺部城は廃城となった。


       <手記>
           寺部城は現在の七所神社裏手付近にあったとされます。寺部城の半径500mほどの範囲内に、
          戸部城・星崎城・市場城戸部一色城など多くの城がひしめき合っていて、中世の笠寺がいかに
          重要な場所であったかがうかがい知れます。
           七所神社は、本殿自体が緩い参道を登って行き着く丘の上にあり、その裏手はこんもりとした林
          になっています。ただ、すぐそばまで住宅地が迫っているため、造成によりかつての地形は大きく
          破壊されてしまっています。遺構を見出すのは困難といえるでしょう。
           別名の笠寺寺部城とは、同じ愛知県は三河国にある同名の寺部城と区別するためのもので、
          当時の呼び名ではなさそうです。


           

寺部城周辺(七所神社)。


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