細川土居(ほそかわ) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 細川重隆か | |
遺構 : なし | |
交通 : 高知市内より土佐電鉄バス十市・後免線 「峰寺通」下車徒歩15分 |
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<沿革> 高知県の埋蔵文化財に、「細川土居城跡」として登録されている。栗山城主十市細川氏の山下土居 (居館)とされる。十市細川氏の祖細川重隆は管領細川頼之の後裔とされ、明応年間(1492〜1501) ごろ、土佐国に入り栗山城を築いた。 十市細川氏は管領目代に任じられ、田村城の土佐守護代細川氏とともに細川宗家に代わって土佐 の統治を任されていた。 天文十六〜十八年(1547〜49)ごろ、細川国隆は北から勢力を広げていた長宗我部国親に降った。 国隆の子の定輔(入道して宗桃。以下同)は、長宗我部氏の重臣として活躍するかたわら、香宗城主 香宗我部秀通に娘を嫁がせている。 天正二年(1547)、長宗我部元親が幡多郡を攻略すると、宗桃は吉奈鶴城主に任じられた。栗山城 と細川土居は、宗桃の子備前守が継いだ。 長宗我部氏の改易までには、廃されていたものと思われる。 <手記> 細川土居は栗山城の西麓、禅師峰寺の南麓にあったとされています。現在、土居跡は宅地や畑地 になっていて、遺構は何もありません。また平時の居館なので、要害性もとくに見受けられません。 |
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細川土居跡現況。 |