古渡城(ふるわたり)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 織田信秀
 遺構  : 堀跡
 交通  : 市営地下鉄東別院駅徒歩5分


       <沿革>
          織田信秀により天文三年(1534)に築かれたとされる。信秀は天文元年(1532)に今川氏豊の那古野城
         を奪い、同三年に生まれた嫡子吉法師(後の信長)に那古野城を譲り、古渡城へ移ったとされる。しかし、
         近年信秀の那古野城奪取は同七年(1538)であったとする説が有力となりつつある。この場合の古渡城の
         築城年や位置づけは明らかでない。城の規模は東西140m、南北100mほどで、二重の堀を巡らしていたと
         される。
          天文十五年(1546)、信長は13歳のときに古渡城で元服したとされる。同十七年(1548)、信秀は新たに
         末森城を築いて移り、古渡城は廃城とされた。
          城跡には、江戸時代に東本願寺名古屋別院が建てられた。その庭園である下茶屋公園の池泉は、古渡
         城の堀を利用したものと伝えられている。


       <手記>
          信長の父信秀が居城したことで割と知られている古渡城ですが、現在は東本願寺東別院となり遺構は
         ほとんど確認できません。下茶屋公園の池泉が、城の堀跡を利用したものということです。この池は意外
         と下ったところにあり、これが当時の堀底とすると、結構深い堀が巡っていたと考えられます。


           
 本願寺東別院にある古渡城址碑。
東別院に隣接する下茶屋公園。 
 古渡城の堀跡を利用したとされる庭園。 


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