若宮館(わかみや)
 別称  : 若宮城
 分類  : 平城
 築城者: 富木常忍か
 遺構  : 土塁
 交通  : 京成本線京成中山駅徒歩15分


       <沿革>
           八幡荘の代官であった千葉氏被官の富木常忍は、鎌倉の松葉ヶ谷に庵を構えて布教して
          いた日蓮に帰依し、文応元年(1260)に襲撃されて法難に遭った日蓮を自身の住む若宮館に
          匿った。さらに、館の敷地に法華堂を建てて日蓮に説法を請い、近隣にを構える太田乗明
          や千葉氏庶流の曽谷教信らも帰依し、3名は日蓮の活動を大きく支えることになる。
           弘安五年(1282)に日蓮が入寂すると、常忍は出家して日常と号し、館を法華寺に改めた。
          同じく乗明の子・日高は父の館跡を本妙寺とし、、永仁七年(1299)に日常が没すると法華寺
          も継承した。
           以降は両寺の住持を同一人物が務めるならわしとなり、天文十四年(1545)に両寺は法華
          経寺として統合され、今日に至っている。


       <手記>
           若宮館跡は、今日では法華経寺の奥之院となっています。太田氏館跡には重要文化財の
          祖師堂や五重塔をはじめ、荘厳な堂宇が立ち並んでいて何も残っていないのに対し、こちら
          は少なくとも東西2辺の土塁が残存しています。さほど広いとはいえず、緩やかな丘陵の上に
          あって要害性もとくにみられません。太田氏館も似たようなものであったと推測され、周辺に
          富木(とき)や太田といった地名も見当たらないことから、両名は千葉氏の所領管理に派遣
          された代官的な被官であったと思われます。
           それにしても恐るべしは日蓮という人で、若宮館の他にも池上氏館本間氏館など多くの
          武士が、日蓮に帰依して屋敷地を差し出しています。自分を宿泊させた武士に居館の敷地を
          寄進させる能力をもつスタンド使いだったのではというくらい、日蓮のカリスマ性は異常といわ
          ざるを得ないでしょう笑

           
 若宮館跡の法華経寺奥之院と日常像。
境内東辺の土塁。 
 同じく西辺の土塁。
東辺の土塁を外側から。 
 館跡にも触れている説明板。


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