永井氏城(ながいし) | |
別称 : なし | |
分類 : 山城 | |
築城者: 永井氏 | |
遺構 : 曲輪、土塁、堀、虎口 | |
交通 : 伊賀鉄道上野市駅からバスに乗り、 「大山田支所前」下車徒歩25分 |
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<沿革> 伊賀郷士永井氏の居城とされる。『三国地誌』および明治十六年(1883)の『明治地誌 取調上申書』には、城主として永井内膳の名が挙げられている。 永井氏は、天正九年(1581)の第二次天正伊賀の乱において阿波口から侵攻してきた 北畠信意(織田信雄)軍を迎え撃った周辺の伊賀衆の1人として、『伊乱記』にその名が 見える。 <手記> 永井氏城は、出後集落の南にせり出した丘陵の上にある伊賀式城館で、尾根筋を少し 下ると中出山城があります。すぐ裏手に新しい農免道路ができたおかげで、その脇から 階段を登ってダイレクトに城内に入れます。 伊賀の他の城館と比べても高々とした土塁が印象的で、その南西隅には、土塁の上に 土塁で囲まれた区画があるのが大きな特徴です。忍者(伊賀郷士)の城館に櫓のような 高層建築が入用だったかは疑問なので、守護神などが祀られていたのかもとも推測され ますが、確証はありません。 また、主郭以外に複数の削平地を従えているのも、永井氏城や中出山城の特筆すべき 点です。耕作地跡とみられる箇所も多いため、すべてが曲輪跡かどうかは定かではあり ませんが、伊賀国内でもかなり規模の大きな城跡といえるでしょう。 |
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農免道路脇の城址入口。 | |
城址への階段。 | |
主郭前の帯曲輪と虎口跡。 | |
主郭の虎口。 | |
主郭内のようす。 | |
同上。 | |
土塁上南西隅の土塁で囲まれた区画。 | |
主郭西辺の堀を見下ろす。 | |
主郭北辺の空堀。 | |
同上。 | |
北側尾根筋の堀切。 | |
永井氏城(左)と中出山城(右)。 |