飯島本城(いいじま)
 別称  : 飯島城、本郷城
 分類  : 平城
 築城者: 飯島氏か
 遺構  : 堀、土塁、曲輪
 交通  : JR飯田線伊那本郷駅徒歩20分


       <沿革>
           土豪飯島氏の居城とみられているが、確証はない。飯島氏は信濃源氏満快流・片切氏の庶流で、
          平安末の2代・片切為基の次男である二郎大夫為綱を祖とするとされる。
           天文二十三年(1554)に武田晴信(信玄)が下伊那へ侵攻すると、飯島氏は他の南信諸将とともに
          降伏を余儀なくされた。その後は本家の片切氏らと共に武田家重臣・秋山虎繁の同心となり、「春近
          五人衆」と呼ばれた。天正十年(1582)に武田氏が滅亡した後の飯島氏および飯島城の動静は不明
          である。


       <手記>
           飯島本城は天竜川と子生沢川による河岸第二段丘の角に位置しています。直下の第一段丘には
          飯島古城があり、両者を合わせて飯島城や本郷城とも呼ばれます。古城と本城は、それぞれの城内
          にある曲輪の小字にちなんだ呼称で、字名通り受け取るなら本城が後に築かれたものと思われます
          が、規模としては古城の方が広大です。あるいは当初の飯島古城は先端の1~2郭のみで、次いで
          本城が築かれ、間に古城が拡張されていったなどの経緯を辿ったとも考えられます。
           鎌倉時代末に飯島氏が創建したと伝わる西岸寺前の道路を南下すると最初の説明板があり、そこ
          を折れて進むと城内に至ります。主郭(本城)はL字型の堀で区画され、北西隅の堀底には小さな塚
          があるのですが、用途は不明です。
           郭内は畑地で、西辺から北辺にかけて土塁も残っています。東辺の藪の切れ目からガサリと入ると
          麓への旧道があり、その中途には説明板の縄張り図に描かれている土塁や竪堀とみられる地形が
          見受けられました。
           主郭から堀を挟んだ北側にも小字「登城」という曲輪があり、外城の転訛かと思われます。西側の
          墓地からアプローチして、規模の大きな空堀には降り立ったものの、郭内はどうも藪林になっている
          ようで直登は諦めました。登城北側の切通し道は、小字を大手というそうです。
           古城と合わせると飯島城はかなりの巨城で、飯島氏は春近五人衆のなかでも本家である片切氏と
          比肩する勢力を有していたものと拝察されます。

           
 飯島古城から飯島本城を見上げる。
主郭入口の説明板と標柱。 
 主郭西辺の空堀。
同上。 
 主郭空堀北西隅堀底の塚状地形。
郭内のようす。 
 北辺の土塁。
東辺から麓へ下りる旧道。 
 旧道脇の土塁および竪堀地形。
登城の空堀と土塁。 
 字大手のようす。


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