池尻城(いけじり)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 飯沼長就
 遺構  : なし
 交通  : 養老鉄道養老線東赤坂駅徒歩5分


       <沿革>
           『美濃明細記』によれば、土岐頼芸の家臣飯沼長就によって築かれた。長就は3千貫を
          領していたが、後に斎藤道三に仕え、その子長継は信長に仕えた。
           天正十年(1582)に本能寺の変で信長が横死すると、長継は秀吉に従う姿勢を見せて
          いたが、織田信孝への内応を疑われ、大垣城で氏家行広に誘殺された。
           池尻城は秀吉に接収され、後に池田輝政が城主となった。天正十二年(1584)の小牧・
          長久手の戦いで輝政の父恒興と長兄元助が戦死すると、輝政は池田家の家督を継ぎ、
          大垣城へ移った。一連の戦いのなかで、秀吉も一時池尻城に入城したとされる。輝政の
          移封に伴って、池尻城は廃城となった。
           その後、城跡の土は付近の輪中建築に充てられた。


       <手記>
           川の流路の変更や輪中建築によって周辺の地形は著しく変わっており、城地の範囲も
          定かではありません。「城屋敷」等の小字から、池尻集落の北、菅原神社の南あたりに
          存在したと考えられています。
           城のすぐ北面を旧中山道が通り、西に赤坂宿を控える要衝にありました。ただ、遺構は
          何もなく、これらの交通条件などから当時を偲ぶのみです。


           
 池尻城周辺現状。
菅原神社。 


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