池辺陣屋(いこのべ) | |
別称 : なし | |
分類 : 陣屋 | |
築城者: 小笠原宗忠 | |
遺構 : なし | |
交通 : 横浜市営地下鉄グリーンライン川和町駅よりバス 「池辺」バス停下車徒歩5分 |
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<沿革> 江戸時代初期に、小笠原和泉守宗忠が陣屋を構えたとされる。宗忠は徳川家康の四男 松平忠吉の筆頭家老を務め、慶長十三年(1608)には笠間3万石の大名となったが、翌年 に改易された。忠吉付で自身の支配下にあった甲斐武川衆を直臣化しようとして、反発を 招いたためとされる。池辺陣屋は、改易された宗忠が逼塞するために建設されたものと 推測されている。宗忠は後に吉次と改名し、元和元年(1616)に没した。 池辺の宗忠寺は、宗忠が父伊予守長隆の菩提を弔うために建立したといわれる。長隆 は小笠原長時の長男で松本藩初代藩主小笠原秀政の伯父である。宗忠寺の西方200m ほどのところに、「大陣屋」「小陣屋」の屋号をもつ島村家・志田家があり、池辺陣屋はこの 付近にあったものと考えられている。 なお、読みは「いけのべ」とも。『日本城郭大系』には「いけべ」とあるが、誤りと思われる。 <手記> 池辺陣屋は中原街道から少し南に外れたところにあり、南には鶴見川が流れています。 北から続く丘陵の先端の高台にあたりますが、陣屋なのでさして要害の地というわけでは ありません。 陣屋の屋号をもつ両家周辺にも、とくに遺構もありません。宗忠寺の前に、池辺村と池辺 陣屋について書かれた石碑があります。 |
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陣屋跡周辺を望む。 | |
宗忠寺。 |