今須城(います)
 別称  : 居益城
 分類  : 平城
 築城者: 長江秀景
 遺構  : なし
 交通  : JR東海道本線柏原駅下車徒歩40分


       <沿革>
           平良文流鎌倉氏の庶流長江氏の居城である。源頼朝に従って活躍した長江義景の孫秀景が、
          承久三年(1221)の承久の乱後に、今須村に移住して築いたと伝わる。
           今須は古くから東山道および中山道の宿場となる要地であり、また西に1kmほど行くと、美濃と
          近江の国境となる。東に今須峠があり、これを越えると不破の関を経て関ヶ原に至る。
           嘉吉年間(1441〜43)に長江高景が美濃国守護代となり、長江氏は全盛を迎えたといわれる。
          しかし、応仁二年(1468)に斎藤妙椿の攻撃を受け、敗北し滅んだとされる。
           その後の今須城については不詳である。


       <手記>
           城は、現在の妙応寺周辺にあったといわれています。妙応寺は、秀景から数えて4代目の重景
          によって建立されたとされています。境内には、とくに遺構を思わせるものはありません。
           現地の地形を鑑みるに、妙応寺というよりはその東側奥の谷間が当時の館地形にふさわしいと
          思われ、おそらく城あるいは居館が、この谷間から今須の宿駅を望んでいたと考えられます。


           
 妙応寺。今須城はこの付近にあったとされています。
今須宿の風景。 
 今須宿本陣跡。現在は小学校。
 妙応寺参道の向かいにあります。


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