稲庭城(いなにわ)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 小野寺経道か
 遺構  : 曲輪、堀、櫓台
 交通  : JR奥羽本線湯沢駅からバスに乗り、
      「下早坂」下車後、スロープカー利用


       <沿革>
           下野国を本貫とする藤原秀郷の後裔小野寺道綱は、文治五年(1189)の奥州合戦の戦功
          により、出羽国雄勝郡を与えられた。13世紀後半ごろ、小野寺六郎経道が雄勝郡へ下向し、
          稲庭城を築いて本拠としたとされる。経道については、道綱の2〜4代子孫とも庶家の出とも
          いわれ、系譜が判然としない。経道は次男道直を西馬音内に、三男道定を湯沢に配置し、
          勢力の拡大を図った。
           15世紀の初めごろ、小野寺泰道は居城を稲庭から沼館へ移した。稲庭城には泰道の次男
          晴道が入り、その後は道綱・道長・道勝と続いた。文禄四年(1595)、最上義光が湯沢城を
          攻め落とすと、道勝も城を奪われた。その後の稲庭城については不明である。


       <手記>
           稲庭といえば一にも二にもうどんですが、やはり歴史好きとしては、戦国大名小野寺氏の
          はじまりの地として注目すべきでしょう。しかも、模擬天守に加えスロープカーなんて乗り物
          まで用意してあるのですから!
           稲庭城の特徴は、本丸と二の丸が別の峰に分かれてお互いに離れている点にあります。
          模擬天守があるのは二の丸で、おそらくもともとがこちらのみだったものが、現在の本丸域
          まで後に拡張されたのでしょう。同様の構造は、同じ小野寺氏の湯沢城にもみられます。
           かわいらしく、どこか手作り感さえある模擬天守には敢えて触れず、、二の丸の見どころは
          その後方の狼煙台と呼ばれる土塁と背後の三重堀切でしょう。堀切は3条目が最も良好に
          残っていて、その他の2本は舗装により分かりにくくなっています。また、二の丸の前方にも
          腰曲輪が続いている様子が見て取れます。
           二の丸から山道を上がっていくと、本丸域に入ります。途中には堀切が1条と腰曲輪があり
          ますが、こちらは観光エリアではないので、道の外側はなべて藪ではっきりとは見えません。
          本丸は城内で最も面積の広い空間で、その周囲を1、2段の帯曲輪が巡っているようです。
           全体として、三重堀切を除けば構造は単純で、規模も湯沢城には及びません。泰綱が沼館
          へ移ってからは、一族を置いて重要視はしたものの、あくまで湯沢城の支城の扱いであった
          と推測されます。

           
 スロープカー乗り場。
スロープカー乗車中。 
 二の丸の模擬天守。
二の丸後方の狼煙台土塁。 
 狼煙台から見た模擬天守。
二の丸先端下の腰曲輪。 
 模擬天守から増田方面を望む。
二の丸背後の堀切。 
 上の堀切も含めた三重堀切跡。
本丸域入口の堀切。 
 本丸下尾根筋の腰曲輪跡。
本丸跡とありますが、ここは1段下の帯曲輪。 
 本丸の説明板。
本丸のようす。 


BACK