猪苗代城(いなわしろ)
  別称 : 亀ヶ城
  分類 : 平山城
 築城者 : 佐原経連
  遺構  : 曲輪、土塁、空堀、石垣
  交通  : JR磐越西線猪苗代駅バス4分
        「亀ヶ城入口」バス停徒歩3分


       <沿革>
          鎌倉初期、三浦一族である佐原盛連の長男経連の築城と伝わる。佐原氏は、後に猪苗代氏を
         称した。猪苗代氏は、宗家である黒川城の蘆名氏に対する独立心が強く、反抗と従属を繰り返し
         ていた。
          猪苗代は、仙道(今の福島県中通り)と会津を結ぶ要衝であり、戦国時代には伊達氏と蘆名氏
         の緩衝地帯でもあった。天正十六年(1588)、猪苗代盛国は伊達政宗に城ごと寝返り、葦名氏
         滅亡の決定的要因をつくった。
          政宗が岩出山へ転封となると、代わって会津の領主となった蒲生氏以降、上杉氏、加藤氏、
         保科氏、松平氏と、猪苗代にはその都度城代が置かれ、会津領の要地であり続けた。
          慶応四年(1868)の戊辰戦争に際して、猪苗代城は時の城代高橋権太夫に焼き払われた。


       <手記>
          猪苗代城は、現在遺構が良好に保存されているといえます。
          亀ヶ城入口のバス停から城を目指すと、追手口の石垣にまず驚かされます。そこから九十九折
         に登ると、大きな土塁や帯曲輪が確認できます。
          木が多くて、本丸から猪苗代湖方面の景色を見ることができないのが残念ですが、本丸を中心
         に、帯曲輪と空堀が多重に巡る様が良く残っているのには圧倒されます。


 猪苗代城追手口。
猪苗代城空堀と土塁。 


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