五味屋敷(ごみ) | |
別称 : 五味氏陣屋 | |
分類 : 陣屋 | |
築城者: 五味豊直 | |
遺構 : 切岸か | |
交通 : 西武池袋線入間市駅または JR八高線金子駅からバスに乗り、 「ペアーレ入間入口」下車徒歩5分 |
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<沿革> 江戸時代初期の旗本五味氏の屋敷跡とされる。五味氏は武田家の旧臣で、五味 主殿助政義が天正十年(1582)の武田氏滅亡に伴い徳川家康に仕官し、同十八年 (1590)に家康が関東へ移封となるとこれに従った。 政義は同年中に死去したとされ、屋敷を建造したのは子の備前守豊直とみられる。 豊直とその子豊旨は、京都所司代配下の京都郡代を務めた。京都郡代は後に京都 代官と改名され、延宝八年(1680)に豊旨が没すると、その後は小堀氏による世襲と なった。 <手記> 東光寺の付近が屋敷跡とされていますが、詳しい位置は確定していません。境内 には、豊旨の家臣43名が豊直の遺徳を偲んで延宝二年(1674)に奉納した梵鐘が 展示されています。 豊旨以降の五味氏の動静についてははっきりしませんが、現地説明板によれば、 東光寺が今の場所に移ったのは元禄十五年(1702)とされています。これは豊旨の 死去から22年後のことであり、在地の陣屋を廃して寺を移転させたとみることも可能 かと思われます。もしそうであれば、寺の全面の斜面は人工的に形成されたもので あることから、あるいは屋敷の切岸跡かもしれません。 東光寺から道路を挟んですぐ西側の龍圓寺付近も、同じく江戸時代初期の旗本 市川氏の屋敷跡とされています。家康の関東入国直後は、城下の根古屋のように 家臣団の屋敷が散在・併存していて、幕府体制が固まるにしたがって旗本が所領 へ直接下向することもなくなり、現地の屋敷は縮小・廃止される傾向にあったとみる のは、十分蓋然性のあることだと思われます。 それにしても、「五味屋敷」と声に出すとどうしてもドキッとしてしまいます。呼び名 は館とか陣屋とか変えてあげた方が…と思うのは私だけでしょうか^^; |
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東光寺。 | |
境内の梵鐘。 | |
境内全面の斜面。切岸跡か。 |