伊勢ヶ坪城(いせがつぼ)
 別称  : 塩ヶ坪城
 分類  : 平山城
 築城者: 熊谷直時か
 遺構  : 曲輪、堀、土塁
 交通  : JR可部線可部駅からバスに乗り、
      「洞庭」下車徒歩10分


       <沿革>
           『平家物語』で知られる熊谷直実の曽孫・直時は、承久三年(1221)の承久の乱の戦功により
          安芸国三入荘地頭職を与えられた。伊勢ヶ坪城は、安芸熊谷氏初期の居城として直時が築城
          したと伝えられる。ただし、直時自身が安芸へ下向した記録はない。
           直時の曽孫にあたる直経は、南北朝の争乱に臨み三入荘北端に位置する狭小の伊勢ヶ坪城
          から三入高松城へ居城を移した。ただし、移城の時期については諸説あり確定をみていない。
          移転後も、伊勢ヶ坪城は熊谷領北東の備えや家督を退いた当主の隠居城として存続したとされ、
          直経の4代子孫にあたる熊谷堅直は伊勢ヶ坪城で文明十年(1478)に没している。
           慶長五年(1600)に、熊谷氏が毛利家に従って安芸を離れた際に廃されたと推測される。


     <手記>
           伊勢ヶ坪城は、根の谷川が渓谷部にさしかかる開けた谷間の最奥に位置しています。舌状に
          付き出た小峰を利用して築かれており、背後の堀切跡とみられる切通し道から主郭に登れます。
          主郭から前方に向かって曲輪を直列させた平明な構造で、北西辺には腰曲輪もみられます。
          ただ、峰先側には三重の堀切が穿たれているのが大きな特徴です。
           この構造や、熊谷領北東の境目に位置しているという重要性から、やはり熊谷氏が安芸国を
          去るまで支城として維持されたとみるべきでしょう。また北西中腹の大林八幡宮は、大正時代に
          周辺の神社を合祀して創建されたそうです。境内の平場がそれ以前から存在していたとすれば、
          平時の居館がここに置かれていた可能性は高いのではないかと思われます。

 伊勢ヶ坪城跡全景。
切通し道へ向かう途中の説明板。 
 背後の堀切跡とみられる切通し道。
主郭のようす。 
 主郭から副郭を俯瞰。
副郭から主郭を望む。 
 三の郭か。
北西辺の腰曲輪。 
 峰先側1条目の堀切。
同2条目。 
 同3条目。
大林八幡宮。居館跡か。 


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