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岡本城(おかもと) |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 岡貞重か | |
遺構 : 土塁、削平地 | |
交通 : 津駅からバスに乗り、「萩野」下車徒歩10分 | |
<沿革> 建仁三年(1203)十二月、伊勢平氏の若菜盛高が反乱を起こすと、翌久元年(1204)二月に 平家の残党が相次いで蜂起した。鎌倉幕府は翌三月に平賀朝雅を中心とする討伐軍を組織 し、朝雅軍は四月十日に富田館を攻め落とした。南下を続ける朝雅勢に対し、盛高は岡八郎 貞重らと共に岡本城へ籠って抵抗をつづけたが、同十二日までに落城した。盛高および貞重 は誅殺されたとされるが、その後の岡本城や岡氏については不明である。この反乱は、正味 3日の戦闘で鎮圧されたため「三日平氏の乱」と呼ばれている。 <手記> 安濃川の左岸に浮島のような緩やかな丘陵地帯があり、そのうちの小丘の一つが岡本城跡 とされています。西側の広域農道から軽トラ道が通じているので、適当なところから城山に取り 付いて直登します。 城山は2つのピークから成っており、東側が主峰です。西峰には土塁や土壇状の人工地形が 散見されますが、その上には曲輪というほどの造成はみられません。雰囲気的に西峰は耕地 として拓かれていたのではないかとも思われます。 続いて東峰に登ると、やはり土壇状地形がいくつか見受けられますが、遺構かは判断に窮し ます。ただ、山頂だけは明確に周囲が浅いながらも切岸状に削られており、城砦らしい様相を 呈していました。もし、三日平氏の乱で廃城となったとすれば、鎌倉初期という時代を鑑みるに さしたる防御設備が設けられていたとは考えにくく、たとえばこの頂部に神社か何かがあり、 神力を恃んで丘そのものに結集して立て籠もったという程度だった可能性もあるでしょう。 ちなみに岡本城跡のすぐ北西には萩野城跡がありますが、こちらは応永年間(1394〜1428) に萩野氏が拠ったとされています。両者には約200年の隔たりがあり、記録上は併存していた 形跡はみられません。 |
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岡本城跡(右手)と萩野城跡(左手)。 | |
西峰の土壇状地形。 | |
同じく土塁状地形。 | |
西峰頂部付近の土壇状態地形。 | |
同上。 | |
東峰の土壇状地形。 | |
東峰の頂部。 | |
頂部のようす。 | |
頂部裏手の切岸状地形。 | |
同上。 |