石川氏館(いしかわし)
 別称  : 石川経長居館
 分類  : 平城
 築城者: 石川経長
 遺構  : なし
 交通  : 横浜市営地下鉄蒔田駅徒歩15分


       <沿革>
           石川氏は、平子有長の弟二郎経長にはじまる。平子氏は三浦氏一族とされているが、
          横山党とする説もある。平子氏の本貫地は久良岐郡平楽(現在の南区平楽)とされ、
          石川氏の本貫地は同郡本牧石川(現在の石川町周辺か)とされる。
           経長の子経季は、寛喜三年(1231)に越後国山田郷地頭職を子の経久に譲っている。
          後にこの系統は越後へ下向し、守護上杉氏の家老となったとされる。また、経長のもう
          一人の子経宗の子の重経は、建久八年(1197)に周防国に所領を得て下向した。その
          末裔が、大内氏ついで毛利氏の家臣となった仁保氏とされている。
           相模に残った石川氏のその後については不明である。

       <手記>
           平子氏の菩提寺である宝生寺下の谷戸一帯の地名は堀ノ内であり、『宝生寺文書』
          に「かいと」の字が見られることから、石川氏の館はこの谷戸に存在したと推定されて
          います。ただし現在の堀ノ内町の範囲はかなり広く、正確な所在地の確定は困難です。
          この谷戸は北の大岡川に向かって開いていて、尾根を越えた南側には本家の平子氏館
          があります。寺の東側の堀割川は明治時代に開鑿されたもので、かつて東側は峰続き
          だったようです。
           ちなみに、嘉吉二年(1442)の『宝生寺文書』に「横浜」とあるのが、史料に現れる横浜
          の地名の最初のものだそうです。

           


宝生寺。


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