石戸氏館(いしとし)
 別称  : (石戸宿)堀の内、源範頼館
 分類  : 平城
 築城者: 石戸氏ないし源範頼か
 遺構  : 堀、土塁跡
 交通  : JR北本駅よりバス「石戸宿三丁目」下車徒歩1分


       <沿革>
           『吾妻鏡』に石戸郷の領主石戸左衛門尉の名があり、その居館と推測されている。
           また、地元には源範頼の館があったとの伝承がある。国天然記念物の石戸蒲ザクラ
          は、範頼の別称「蒲冠者(かばのかじゃ)」にちなんでいる。
           左衛門尉以降の石戸氏については定かでない。またすぐ西に石戸城があるが、両者
          が併存していたのかなど館のその後についても不明である。


       <手記>
           石戸神社の背後に堀と土塁の痕跡があり、神社境内が館跡とみられています。私は
          この情報を知らずに訪れ、北里大学メディカルセンターの駐車場になって消滅したのだ
          と勝手に早合点してしまいました。
           他方で、『新編武蔵国風土記稿』では石戸宿村の阿弥陀堂を館跡に比定しています。
          阿弥陀堂は今日の蒲ザクラがある東光寺を指します。たしかに、東光寺は南に緩やか
          谷戸を望む台地の縁の高台にあり、どちらかというとこちらの方が開発領主の館として
          は相応しいように見えます。とはいえ石戸神社の方に遺構があるという以上は、そちら
          に城館施設があったことは否めません。あるいは石戸神社から東光寺にまたがる広い
          敷地を有していたのかもしれません。
           となれば、それほどの大身領主というと源範頼という線も出てくるでしょうが、さすがに
          これは範頼がすぐ隣の吉見を領して吉見御所と尊称されたことからの敷衍に過ぎない
          ように思われます。

           
 北里大学メディカルセンター駐車場付近。
 ここはギリギリ館外のようです。
東光寺。 
 
 おまけ:石戸蒲ザクラ


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