一身田専修寺(いっしんでんせんじゅじ)
 別称  : 専修寺、本山専修寺
 分類  : 寺内町
 築城者: 真慧
 遺構  : 環濠
 交通  : JR紀勢本線一身田駅徒歩5分


       <沿革>
           下野国高田の専修寺を本寺とする浄土真宗高田派の10世・真慧によって、文明年間
          (1469〜87)に創建された無量寿院を前身とする。下野の専修寺が大永六年(1526)に
          焼失すると、11世・応真が住持を務めていた無量寿院へと高田派の中枢機能が移り、
          本寺専修寺に対して本山専修寺と呼ばれるようになった。
           天文六年(1537)に応真が没すると、堯慧と真智の間で後継争いが勃発した。両派の
          争いは2人の没後も江戸時代に入った17世紀後半まで続き、この間には天正二十年
          (1592)と正保二年(1645年)に2度、一身田専修寺の伽藍が火災で焼け落ちている。
          こうした状況のなかで環濠を巡らした寺内町が形成されたと推測されるが、詳しい経緯
          は明らかでない。
           万治元年(1658)には、津藩藤堂家からそれまでの境内に隣接する土地を寄進され、
          寛文六年(1666)から延宝七年(1679)にかけて、現存する御影堂の造営が行われた。
          遅くともこのころまでに、今日に残る寺内町の範囲が整えられたとみられる。


       <手記>
           一身田専修寺といえば、真宗十派のなかで東西本願寺派に継ぐ規模をもつ高田派の
          本山として知られています。東西に並ぶ江戸時代建造の御影堂と如来堂は共に国宝に
          指定されており、そうした背景に違わぬ立派で堂々とした佇まいでした。ただ、私自身は
          寺院には詳しくないので、専修寺そのものについては「おお〜、すごいな〜」という感想
          に終始してしまいます^^;
           他方で、寺内町の周囲には今も当時とほぼ変わらぬ流路で、環濠跡の水路が巡って
          います。整備されたのはおそらく直接の戦乱が遠ざかったころとみられるため、そこまで
          防備を意識したものではなかったのでしょう。

           
 専修寺山門。
唐門。 
 境内のようす。
如来堂。 
 御影堂。
境内西辺環濠跡の水路。 
 同上。
水路脇の説明板。 


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