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伊丹屋敷(いたみやしき) |
| 別称 : なし | |
| 分類 : 平城 | |
| 築城者: 伊丹右衛門太夫か | |
| 遺構 : なし | |
| 交通 : 京浜急行金沢文庫駅からバスに乗り、 「宮ケ谷」下車徒歩5分 |
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<沿革> 『小田原衆所領役帳』に、釜利谷に所領をもつ江戸衆の伊丹右衛門太夫・孫五郎兄弟の 名がみえる。また、釜利谷南1丁目の手子神社には、細川陸奥守の重臣・伊丹左京亮が、 文明五年(1473)に六浦の瀬戸神社を分祀して創建したと伝わるとされる。事実とすれば、 伊丹氏は北条氏の進出以前から釜利谷付近に土着していたと推察されるが、細川奥州家 は幕臣であり関東とは無縁のため、真偽性には疑問が残る。 江戸の浅草寺の寺伝によれば、同寺の権僧正であった忠尊は伊丹三河守政富の子で、 寛永年間(1624~44)に父祖の菩提寺として釜利谷の禅林寺を建立したとされる。他方で 禅林寺自体は鎌倉公方・足利持氏の創建とされ、政富は伊丹永親の子と伝える。当該の 人物として、徳川秀忠に仕えた旗本の伊丹因幡守永親がいるが、永親は摂津伊丹城主 伊丹親興の曽孫とされ、北条家臣伊丹氏と関係があるのかは定かでない。 関東の伊丹氏といえば、やはり摂津伊丹氏の一族で、今川氏に仕えて水軍を任された 伊丹康直がおり、その子・康勝は江戸時代初期に甲斐徳美藩を興している。しかし、康直 が今川氏を頼って流れ着いたのが永禄元年(1558)とされ、後北条氏が『役帳』に先立つ 検地を実施するよりも後のことである。 <手記> 遺跡地図によると釜利谷小学校北東の谷筋が屋敷跡とのことですが、周囲は住宅地と してすっかり開発されており、関連するものは何もありません。小学校を挟んだ南西側には 禅林寺があり、伊丹永親の墓もあるそうなのですが、真夏に歩いて巡っていたのでとても そこまで行く気力が湧きませんでした^^; 館主伊丹氏については上述のとおり出自不詳としか言いようがなく、少なくとも康直とも 親興とも直接の関係はなさそうです。翻って、永親の父祖というのも留保が必要と思われ ます。忠尊自身は、『日本城郭大系』にある通り禅林寺を修復・中興したものと推測され、 永親の墓もそれに伴って改葬ないし新造されたのでしょう。 他方で、禅林寺が足利持氏の時代に草創されたのであれば、伊丹氏が釜利谷に入植 したのも同じころ(15世紀前半)とも考えられます。とすれば、細川陸奥守云々はさておき、 文明年間に右衛門太夫・孫五郎兄弟の父祖として伊丹左京亮があり、手子神社を祀った とする推測も成り立つでしょう。その場合、釜利谷伊丹氏は比較的早い段階で室町幕府 の命により摂津から関東へ下向し、そのまま土着したものと推測されます。 |
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| 比定地付近現況。 | |
| 釜利谷小学校。 | |