窪田城(くぼた) | |
別称 : 国井館 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 国井政広 | |
遺構 : 土塁、堀 | |
交通 : JR常磐線勿来駅徒歩30分 | |
<沿革> 保元二年(1157)、時の領主国井政広によって築かれたとされる。国井氏について、 出自など詳細は不明である。文安年間(1444〜49)ごろまでに、国井氏は窪田氏を 称したとされる。一説には、窪田氏は康和四年(1102)に菊多郡検断職となった大高 (高階)惟頼の後裔ともいわれる。それによると、惟頼の5代子孫惟貞が初めて窪田 を名乗ったとされるが、確証はない。 大永元年(1521)には、窪田城主窪田山城守昌清が、國魂神社に梵鐘を寄進して いる。窪田氏のその後については詳らかでない。 <手記> 國魂神社境内の北辺から西辺にかけて、堀と土塁が良好に残されています。國魂 神社は大同元年(806)に菊多国造が出雲大社より勧請して創建したと伝えられ、 北東の郡地区からは菊田郡衙跡とみられる遺構が見つかっていることから、周辺は 古代より拓かれていたことがうかがえます。一方で、土塁には折れが見られ、戦国 時代後期まで使われていたものと推察されます。 窪田城について、資料やサイトによっては岩城氏庶流国魂太郎の国魂館跡とする ものもあります。しかし、上述のとおり國魂神社の由緒には国魂氏の事蹟はみられず、 また国魂氏の同族庶氏の本貫は総じて平一帯に散在していることから、『日本城郭 大系』にあるとおり、国魂館はいわき市平菅波の大國魂神社付近にあったと考える のが妥当でしょう。おそらく、「國魂神社」を取り違えたものと思われます。 |
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窪田城跡に鎮座する國魂神社。 | |
境内背後の堀と土塁。 | |
同上。 | |
同上。 |