植田城(うえだ)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 菊田政良か
 遺構  : 堀跡か
 交通  : JR常磐線植田駅徒歩15分


       <沿革>
           海道平氏流岩崎三郎隆久の曽孫にあたる、菊田十郎政良の居城とされる。一方、
          いわき市高倉町鶴巻の高蔵寺の寺伝によると、応永年間(1394〜1427)に植田城主
          藤原隆広が、三芦城主石川持光と共に堂塔を建立ないし再修したとされる。隆広は、
          「隆」の字からやはり海道平氏流と類推されるが、藤原姓を名乗っている理由は不明
          である。
           戦国時代には、同じ海道平氏の岩城氏庶流植田氏が拠っていたとみられている。


       <手記>
           植田城は、鮫川に臨んで細長く伸びる丘陵を利用した城です。中心部はその名も
          舘跡団地として開発されています。先端側に公園がありますが、遺構も説明や案内
          などもありません。さらに先端側を字館崎といいますが、民家の先の藪となっていて
          踏査は難しそうです。
           逆に付け根側は字館山や字堀ノ内といい、上の地図や航空写真でも分かるとおり
          堀跡のような地形が見られるのですが、行きそびれてしまいました。機会があれば、
          再訪してみたいところです。


       <追記>
           いわき湯本温泉に滞在した帰りに再訪し、今度は裏手の御霊神社から登りました。
          こちらの方が、裏手の道が広く駐車スペースもあり、訪城にはおすすめです。そして
          畑地の作業道を団地方面へ歩いていくと、やがて航空写真にも見えた堀跡が現れ、
          予想が正しかったことが分かり安堵しました。
           この堀切はかなり立派で、先端側には土塁も残っています。字堀ノ内の付け根側
          にも堀跡のような細長い畑地がありますが、こちらは高低差がなくはっきりとしたこと
          はいえません。あるいは御霊神社裏手の道路が最後尾の堀切跡で、ここまで城域が
          延びていたとも考えられますが、そうなると付近でもかなり巨大な城館であったことに
          なるでしょう。地名からして字堀ノ内までは城内であったと推察されますが、字館山の
          堀切まででも十分な規模があり、植田氏が岩城氏一門の中でもかなり勢力を有して
          いたことがうかがえます。

           
 舘跡団地案内図。
団地先端の公園。 
 さらに先端側の字館崎を望む。
丘上からの眺望。 
 字館山の堀切。
同上。 
 堀切に伴う土塁。
字堀ノ内のようす。 


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