今泉城(いまいずみ) 付 町内土塁(まちうち) |
|
別称 : なし | |
分類 : 山城 | |
築城者: 二階堂氏 | |
遺構 : 曲輪、土塁、堀、虎口 | |
交通 : JR東北本線須賀川駅からバスに乗り、 「今泉」下車徒歩10分 |
|
<沿革> 現地説明板によれば、文安年間(1444〜49)に二階堂氏の一族が築き、永禄年間 (1558〜70)に二階堂輝行(照行)が修築した。本丸(内城)の城代には矢部周防守、 二の丸(外城)には娵川(娶川)左衛門が置かれたとされる。 永禄二年(1559)、今泉城は田村氏に攻め落とされ、田村月斎が城代として入った。 天正十年(1582)に至り、伊達輝宗の仲介によって田村氏と二階堂氏の和議が成り、 今泉城は二階堂方に明け渡され、新田館主の浜尾駿河守盛泰が城主となった。 天正十七年(1589)に伊達政宗が蘆名氏を滅ぼすと、盛泰は政宗の調略に応じて 寝返った。翌十八年(1590)の奥州仕置によって伊達家の旧蘆名・二階堂領などが 没収されると、今泉城も廃されたとみられるが、詳細は不明である。 <手記> 今泉の町内集落の裏山が今泉城跡です。上の図にあるように、南西麓に登城口が あり、生活道路沿いに「今泉城・曲輪跡」の標識があるので、これを目指しましょう。 登山口には説明板もあるのですが、文字がびっしりと詰まっていて、現地で読むのは 少々しんどい感じです笑。ただし、内容は典拠も示されてしっかりしていて、たいへん 参考になります。 登城路を登り詰めると、やや広く開いた虎口を抜けて城内に至ります。四阿なども 設置されて開けているのですが、それがために一面びっしりと下草に覆われていて、 歩くことはできるものの、夏場とて行動は大きく制限されてしまいました。堀切もある ようなのですが、ちょっとシーズン外は厳しそうです。 城内は3段に削平されていて、最奥の主郭は三方を土塁に囲まれています。主郭 の背後まで少し頑張って覗いてみましたが、こちらには堀は用いられていないよう です。 また、麓の登城口から東へ行くと、住宅地の敷地の間に町内土塁と呼ばれる土塁 があります。今泉城に伴う城下の施設とみられていますが、それ以上のことは定かで ありません。 |
|
説明板。 文字びっしり! |
|
虎口跡。 | |
城内先端側のようす。 | |
城内の3段削平地の土塁。 | |
城内主郭側のようす。 | |
主郭および土塁。 | |
主郭最奥にある石祠と土塁。 | |
町内土塁。 |