新田館(にいだ) | |
別称 : 仁井田館、新田城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 浜尾氏 | |
遺構 : 土塁、堀跡 | |
交通 : JR東北本線須賀川駅からバスに乗り、 「仁井田南町」下車すぐ |
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<沿革> 二階堂家重臣浜尾氏の居館とされる。浜尾氏の出自は詳らかでないが、はじめは 浜尾館を居城としていたとみられている。新田館跡に建つ常林寺は、15世紀中ごろ に浜尾氏が開基したと伝わることから、このころには移転していたものと推測される。 天正十年(1582)、田村氏と二階堂氏の間で和議が成り、田村氏に奪われていた 今泉城が二階堂氏に明け渡されると、新田館主であった浜尾駿河守盛泰が今泉城 へ移され、新田館には遠藤対馬守が入ることになった。 天正十七年(1589)の須賀川城攻防戦において、浜尾氏は伊達家に寝返っていた が、対馬守は籠城方に加わっている。戦後、対馬守は伊達家に仕えたが、新田館の 扱いについては定かでない。遅くとも、翌十八年(1590)の奥州仕置で旧二階堂領を 含む伊達家の所領が召し上げられるまでには、廃されたものと推測される。 <手記> 常林寺境内が館跡とされ、本堂裏手の墓地背後に、堀と土塁の跡と思しき地形が 認められます。境内北東隅はちょっとした櫓台のようになっていて、そのはす向かい にも、土塁のような土盛り地形があり、あるいは関連施設の遺構かもしれません。 浜尾氏については、須賀川市街の東方に浜尾館があり、当時の浜尾村はもともと 北沢村と呼ばれていたところ、浜尾氏にちなんで改名したとされています。とすると、 はじめは浜尾館にあった浜尾氏が、15世紀ごろに新田に所領を得て移ったと考える こともできるかと思います。 |
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館跡の常林寺。 | |
境内背後の土塁および堀跡とみられる地形。 | |
境内北東隅のようす。 | |
境内北東隅はす向かいの土塁状地形。 |