泉田城(いずみだ)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 泉田教隆か
 遺構  : 削平地、虎口
 交通  : JR常磐線浪江駅徒歩25分


       <沿革>
           標葉氏庶流泉田氏の居城である。泉田氏は、15世紀前半ごろの標葉氏当主標葉
          隆安の甥にあたる教胤を初代とする。泉田城も教胤が築いたものとされるが、詳しい
          年代などは定かでない。教胤は後に宗家に背いて誅され、隆安の次男隆光が泉田
          氏を継いだとされる。
           明応元年(1492)、相馬盛胤が標葉に兵を向けると、隆光の孫の隆直は相馬氏に
          通じた。一門筆頭格の泉田氏の寝返りが決定打となり、標葉氏は権現堂城に攻め
          滅ぼされた。
           隆直は盛胤から一字を与えられて胤直と改名し、泉田氏は相馬家一門重臣として
          遇された。相馬家は江戸時代を通じて標葉郡を領していたが、泉田城の廃城時期は
          不明である。


       <手記>
           請戸川沿いにポツンとある小さな独立丘が泉田城跡です。轍道の通る東麓に標柱
          がありますが、こちら側は一寸先も闇の猛烈な藪で、取りつく島もありません。反対
          側の川沿いの堤防道からアプローチすると、丘の西端が接しているポイントがあり、
          ここから直登するのが、現状では間違いがないかと思われます。
           登ってみるといくらか見通しの利く雑木林となっています。丘の上は一面しっかりと
          削平されていますが、基本的に単郭のようです。東西南北の四方に虎口ないし堀跡
          と見られる凹地形がみられるのが、最も明瞭な遺構といえます。ただし、東の虎口に
          ついては、その手前にお社があり、その参道として後世に設けられた可能性も考え
          られます。また、北の虎口状地形の脇からは、丘の中ほどまで溝が延びています。
          とはいえこれも城の造作としては不自然で、後世の耕作かなにかで作られたものと
          考えるのが妥当でしょう。

           
 北西から泉田城跡を望む。
南東麓の城址標柱。 
 北西隅の直登ポイント。
西の虎口状地形。 
 南の虎口状地形。
北の虎口状地形。 
 そこから延びる溝。
東端近くにあるお社。 
 東の虎口状地形。


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