田子城(たご) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 山本氏 | |
遺構 : 不詳 | |
交通 : 伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅からバスに 乗り、「田子」下車徒歩5分 |
|
<沿革> 土豪山本氏の城とされる。山本氏は清和源氏流で近江国浅井郡山本村を本貫地と するとされるが、詳しい系譜は不明である。南北朝時代に足利基氏が関東へ下向した ころには、すでに山本飛騨守が田子小松城主であったとされている。ただし、このころ に田子城も築かれていたかは定かでない。 戦国時代に伊勢宗瑞(北条早雲)が伊豆へ討ち入ると、山本氏は伊勢氏に従ったと される。永禄二年(1559)の『小田原衆所領役帳』には、伊豆奥田子の領主として山本 太郎左衛門の名が記されている。 天正十八年(1590)の小田原の役に際して、山本信濃守正次(常任)は田子城にて 豊臣勢を迎え撃った。しかし、わずかな兵力で如何ともしがたく、田子城は向井正綱に よって攻め落とされた。信濃守は逃亡したとされ、田子城もそのまま廃城となったもの と推測される。 <手記> 田子漁港に臨んで突き出た細長い岬の尾根が、田子城跡とされています。はっきり した登り口はなく、岬の先端には民家らしき建物があります。一応、北麓に上がれそう な道があるにはあるのですが、先の民家の敷地を通らずにいけるものなのかどうかが 分かりませんでした。高さはないので無理をすれば登れないことはなさそうでしたが、 それとてどこぞの私有地を抜けなくない感じでしたので、潔く諦めることにしました。 外から眺めた感じでは、ここに城砦があったとしても、もう少し上手まで城域が延びて いないと、戦いの用には立たないように思います。 |
|
南側から田子城跡を見上げる。 |