小松城(こまつ)
 別称  : 田子小松城
 分類  : 平山城
 築城者: 山本氏
 遺構  : 削平地、土塁か
 交通  : 伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅からバスに
      乗り、「田子上」下車徒歩3分


       <沿革>
           土豪山本氏の居城とされる。山本氏は清和源氏流で近江国浅井郡山本村を本貫と
          するとされるが、詳しい系譜は不明である。南北朝時代に足利基氏が関東へ下向した
          ころには、すでに山本飛騨守が田子小松城主であったとされている。
           戦国時代に伊勢宗瑞(北条早雲)が伊豆へ討ち入ると、山本氏は伊勢氏に従ったと
          される。永禄二年(1559)の『小田原衆所領役帳』には、伊豆奥田子の領主として山本
          太郎左衛門の名が記されている。
           天正十八年(1590)の小田原の役に際して、山本信濃守正次(常任)は田子城にて
          豊臣勢を迎え撃った。しかし、わずかな兵力で如何ともしがたく、田子城は向井正綱に
          よって攻め落とされた。この田子城は港に臨む岬の城を指すとみられるが、小松城で
          戦闘があったかは定かでない。信濃守は逃亡したとされ、城もそのまま廃城となった
          ものと推測される。


       <手記>
           国道に面した舌状の峰先が小松城址とされています。ネット情報では城址碑がある
          とのことですが、撤去されたのか見当たりませんでした。交差点脇から住宅街を登って
          行くと、段々の耕作放棄地があります。このあたりが城の中心と思われますが、明確な
          遺構はみられません。
           さらに奥へ進むと、人工的に削られた崖状の斜面を上がった峰先に、塚状の土塁が
          現れます。明らかに人工地形なのですが、これが城に伴う櫓台ないし烽火台なのか、
          それとも古墳など別の遺物なのかは判別が困難です。周囲も曲輪形成されているよう
          な感じはなく、判断に窮します。さらにさらに奥へと歩いては行けそうでしたが、「この先
          ワナあり」との猟友会の警告があり、さすがにこれ以上は無理と戻りました。
           小松城は港からはかなり奥まったところにあり、眺望には優れているものの、水軍城
          としての用はとても果たせません。籠って戦うにしても、海に囲まれた岬の田子城の方
          が、要害性に優れているように感じます。実在したとしても、戦闘用というより、平時の
          居館ないし物見の砦だったのではないかと思われます。

           
 西麓から小松城跡を望む。
 中央住宅地の裏手。
東側から望む。 
 城跡比定地の段々の休耕地。
休耕地からの眺望。 
 休耕地裏手の人工と思われる地形。
その上の塚状の土塁地形。 
 城の造作かどうかは難しいところです。 


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