寺中城(じちゅう) | |
別称 : 三会城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 島原氏か | |
遺構 : 堀、土塁、曲輪跡 | |
交通 : 島原市街よりバスに乗り、 「洗切」下車徒歩5分 |
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<沿革> 天正十二年(1584)の沖田畷の戦い時点で、浜の城主島原純豊の家臣和泉左京が 城主であったとされる。島原氏によって浜の城の支城として築かれたとみられている が、築城年代などは定かでない。 沖田畷の戦いでは、龍造寺隆信がこの寺中城で最後の夜を過ごした。五月四日の 本戦で隆信が討ち死にすると、寺中城は島津勢に奪われたが、戦闘があったのかは 定かでない。『上井覚兼日記』によれば、覚兼・伊集院忠棟らが海路三会の港に上陸 して寺中城の接収に向かったところ、すでに島津図書頭(忠長か)らが城内で祝杯を あげていたとされる。城主和泉左京は、捕えられて斬られたといわれる。 『探訪ブックス 九州の城』には、島津氏の城代が置かれたとあるが、その後の寺中 城の動向については詳らかでない。 <手記> 寺中川と中野川の合流点に突き出た、舌状地形の先端に築かれた城です。本丸と 二の丸が残っていて、畑となっています。両曲輪の間は空堀となっていて、本丸には 段差があり、上下2段に分かれていたとも考えられます。段差は石積みで補強されて いますが、これは後世の畑地造成によるものと思われます。 二の丸より上手は住宅地となっていて、城域が続いていたかどうかはわかりません。 規模はたいして大きいとはいえず、隆信もまさかここが最後の一夜となるとは想像も していなかったことでしょう。 |
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付け根側から本丸を望む。 | |
本丸と二の丸の間の空堀。 | |
本丸のようす。 | |
本丸内の段差。 | |
二の丸を俯瞰。 |