寒水城(かのみず) | |
別称 : なし | |
分類 : 山城 | |
築城者: 遠藤氏か | |
遺構 : 不詳 | |
交通 : 東海北陸自動車道郡上八幡ICから車で30分 | |
<沿革> 木越城主遠藤胤基の家臣として、寒水村・遠藤善右衛門の名が見える。寒水城はこの寒水 遠藤氏の居城とみられるが、詳細は不明である。天正十六年(1588)に胤基が犬地5500石へ 減転封となると、寒水遠藤氏も寒水を離れた。これにより寒水城も廃されたとみられ、江戸時代 に入って和田治郎左衛門が入植するまで、寒水村にはほとんど人が住んでいなかったとみられ ている。 <手記> 寒水は吉田川の支流寒水川の中流域に伸びる集落で、寒水城は集落の上方東側の山上に あったとされています。西麓の道路脇に張られた獣除けフェンス沿いに、明宝村史跡と刻まれた 立派な城址碑が建っています。 そこからフェンスのゲートを抜けて、山肌に取りつくとしばらくは道がありますが、いずれは直登 しなければなりません。私は北西の尾根筋を伝ってよじ登りました。 100mほども登ると山頂がみえてきますが、ここまで遺構らしきものは見当たりません。そして、 頂部はポッコリ突き出ているので、その上が主郭になっているかと思いきや、屏風のように細く 薄くてとても曲輪と呼べたものではありません。その背後は急崖になっていますが、人工の造作 らしいものがとにかくないのです。 周囲も恨めしいばかりに自然の緩斜面が広がり、本当にここが城跡なのか、そこからして疑問 を抱かざるを得ません。そもそも、寒水郷というところは深く狭隘な土地で、今でこそ吉田川沿い から県道が通じていますが、途中は結構な渓谷となっています。おそらく当時は、南西は小駄良 や古道から、北東は気良から、それぞれ峠を越えて往来していたのでしょう。そのような山深い ところなので、領主としては敢えて砦に手はかけず、有事の際は裏山に立て籠もるくらいの認識 だったのかもしれません。 ちなみに、寒水は川の両側の斜面に旧家が点在し、斜面の田畑とともにとても長閑で、時間や 世情の流れとは無縁なような雰囲気に包まれています。これまで城跡巡りと共にさまざまな山里 を目にしてきましたが、寒水の風景は私がとくに好きなものの1つです。 |
|
寒水城跡遠望。 | |
寒水城址碑。 | |
北西尾根のようす。 | |
山頂を見上げる。 |
|
同じく角度を変えて。 | |
山頂のようす。 | |
山頂背後の急崖。 | |
山頂下の緩斜面。 | |
寒水の里の風景。 |