関川寺館(かんせんじ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 結城氏か
 遺構  : 土塁、堀
 交通  : JR東北本線白河駅徒歩10分


       <沿革>
           その立地や規模・形態などから、鎌倉時代後期ごろの白河結城氏の居館である
          可能性が指摘されている。ただし、現存する土塁の高さや技巧性を鑑みると、戦国
          時代後期にも使用されていたと考えられている。


       <手記>
           関川寺の西辺から北西辺にかけて、土塁と空堀が残っています。現地説明板に
          あるとおり、鎌倉時代の城館にしては土塁も堀も規模が大きく、また西辺の中ほど
          には横矢状の張り出し部も見られます。このことから、やはり最終的な使用時期は
          戦国時代後期まで下るものと推測されます。
           説明板によれば、館の範囲は東西約220m・南北約180mと推定され、市役所の
          あたりまでが城域だったとみられます。谷津田川の河岸上にあり、要害性は乏しい
          ものの、白河小峰城に近いことから、小峰氏が本家を簒奪した後に、何らかの形で
          使用されていたのではないかと推察されます。

           
 西辺土塁沿いの説明板。
西辺北半の土塁と空堀。 
 西辺中央部の張り出し状土塁。
西辺南半の土塁と空堀。 
 西辺土塁の南端付近のようす。
館跡から見た谷津田川。 
 関川寺敷地内のようす。


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