唐沢城(からさわ)
 別称  : 新井之城
 分類  : 平山城
 築城者: 唐沢義景か
 遺構  : 土塁、曲輪、堀跡
 交通  : JR飯田線飯島駅徒歩25分


       <沿革>
           現地説明板によれば、西箕輪中条の領主である唐沢隼人助昌綱の子・備前守義景が天文三年
          (1534)にこの地に移り住んで館を構えたのが始まりとされる。唐沢氏は弘治二年(1556)の武田
          晴信(信玄)による伊那侵攻で滅び、後に武田家臣小泉五郎左衛門が居住したと伝わる。
           五郎左衛門の子・新左衛門は石曽根を称したが、天正十年(1582)の織田信長による武田攻め
          で攻め滅ぼされたとされる。これにより、唐沢城は廃城となったとみられる。


       <手記>
           唐沢城は天竜川の河岸段丘が舌状に突き出た箇所に築かれています。伝承通りなら唐沢氏が
          築いたためにその名がついたとみられますが、たしかに周辺に唐沢という地名は見当たりません。
          それ以前に唐沢昌綱が領していたとされる伊那市の中条には中条城と呼ばれる城館遺構があり
          ますが、唐沢氏の名は伝わっておらず、やはり付近に唐沢の地名はみられません。唐沢氏の出自
          については、謎と言わざるを得ないでしょう。
           城跡は主郭跡を除いて圃場整備がなされています。堀跡はすべて埋められており、南郭の堀切
          南端部分と土塁の痕跡がわずかに残るのみです。また主郭の北辺にも、土塁の残片がむしろなぜ
          残ったのか疑問な感じで佇んでいます。
           主郭先端の1段下に城址碑が2つあり、現地説明板によればその下に竪土塁が延びているそう
          です。ただ、現状ではネットが張られ藪化が進行しており、はっきりとは確認できませんでした。

           
 主郭跡を俯瞰。
主郭跡の説明板。 
 主郭南東隅付近のようす。
主郭北辺の土塁の残片。 
 主郭先端下の城址碑等。
主郭先端下の竪堀跡とされるあたりを望む。 
 二郭跡現況。
南郭の堀跡現況。 
 同堀跡南端の土塁残片。


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