勝山城(かつやま)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 斎藤氏か
 遺構  : 曲輪、土塁、堀
 交通  : JR越後線西山駅徒歩30分


       <沿革>
           現地説明板によれば、文治年間(1185〜90)に城義資の将である野呂一伯が居城し、その後は
          竹俣氏が拠ったとされる。ただし、越後城氏に義資という人物の名は見られず、竹俣氏はいわゆる
          揚北衆であるため、刈羽郡に居城したとは考えにくい。また、近隣の赤田城主斎藤朝信の家臣と
          して野呂一薄という人物が同時代の古文書に記されているため、この野呂一薄が城主ではないか
          ともみられている。


       <手記>
           勝山城は、西に日本海沿いの宮川地区を望む丘陵地帯の1ピークに築かれています。南側中腹
          の林道から登山道が整備されていて、駐車場も完備されています。一方で、遊歩道が地形を大きく
          破壊しながら、堀切や腰曲輪群にダメージを与えつつ造られている点は、赤田城と同じです。
           城は、前方に腰曲輪群と堀切、主郭背後にも腰曲輪を配していますが、全体的には小規模です。
          越後城氏のころに存在していたかどうかは分かりませんが、斎藤氏の支城として家臣が預かって
          いたというのは妥当なところではないかと思われます。
           主郭には謎の模擬天守が建ち、背後の腰曲輪ではかわいい遊具たちがお出迎えしてくれます。
          この遊具も赤田城跡に同種のものがあり、潤沢な原発マネーを背景に、村と懇意の業者が手がけ
          たのかなぁ、という想像が湧いてしまいました。少なくとも史跡保存の面でも、また村民に憩いの場
          を提供するという意味でも、あまり功を奏してはいないように感じます。

           
 登城口。
前方の堀切。 
 前方の腰曲輪群の切岸。
主郭のようす。 
 主郭の模擬天守(?)。
主郭からの眺望。 
 主郭背後の腰曲輪と遊具たち。


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