片切氏館(かたぎりし)
 別称  : 片切館、くろうど屋敷
 分類  : 平城
 築城者: 片切為基
 遺構  : なし
 交通  : JR飯田線伊那田島駅徒歩30分


       <沿革>
           信濃源氏の名族・片切氏の初期の居館とされる。片切氏は源満快の曽孫にあたる源為公が
          信濃守に任じられ、その子・為基が伊那郡片切郷に住したことにはじまる。
           為基の孫の1人である景重は、平治元年(1160)の平治の乱で源義朝に与して奮戦し壮絶な
          討ち死にを遂げた。これにより、片切氏は平家に所領を没収されて一時没落した。しかし、寿永
          三年(1184)に景重の弟・為遠の孫で、景重の養子となっていた片切為安(為康)が義朝の子・
          頼朝に旧領を返還された。
           この後、時期は不明だが南方に船山城が築かれ、片切氏累代の居城となった。船山築城に
          よって旧来の館は廃されたとみられるが、確証はない。


       <手記>
           天竜川と前沢川の合流点を見下ろす丘陵裾に樹齢800年と推定される「中西の桜」があり、
          その上の相互付近が字「くろうど屋敷」と呼ばれ、蔵人であった為基の館跡とみられています。
          反対側には矢村沢川が流れており、まずこの流域の開発に取り掛かったという感じでしょうか。
          遺構は見られませんが、中西の桜が本当に樹齢800年であれば、館の生き証人である可能性
          は高いといえます。
           少し東へ行った国道脇の諏訪神社前には、片桐氏発祥地の看板が建っています。「片桐氏」
          といえば賤ヶ岳の七本鎗の1人・片桐且元が有名ですが、実際のこの片切氏の後裔を称して
          いるようです。

           
 片切氏館跡現況(くろうど屋敷)。
樹齢800年といわれる中西の桜。 
事実とすれば館の生き証人である可能性があります。 
 館跡の脇を流れる矢村沢川。
諏訪神社前にある片桐氏発祥地の看板。 


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