天王館(てんのう)
 別称  : 河東田城、天王寺館
 分類  : 平山城
 築城者: 河東田重継
 遺構  : 土塁、曲輪跡
 交通  : JR水郡線磐城棚倉駅からバスに乗り、
      「三森」下車徒歩10分


       <沿革>
           白河結城氏庶流河東田氏の居館である。河東田氏は、白河結城氏3代顕朝の次男
          朝重の4代子孫にあたる重継が、河東田郷を領したことにはじまるとされる。天王館も
          重継によって築かれたと伝わる。
           天正三年(1575)に常陸の佐竹義重が赤館を攻め落とすと、翌四年(1576)に白河
          結城氏の軍勢が天王館に集結し、夜襲をかけて奪還したとされる。この戦いで、時の
          館主河東田清重も奮戦したと伝わる。
           天正十八年(1590)の小田原の役に際し、清重の主君小峰(結城)義親は参陣しな
          かったため、所領を没収された。清重は義親とともに伊達氏に仕え、天王館も廃城と
          なったとみられる。


       <手記>
           河東田集落の中央にあるこんもりとした丘が天王館跡です。山頂には八坂神社が
          鎮座しています。主郭とみられる境内は、東西で2つのエリアに分かれていますが、
          これが当時の区割りなのかどうかは不明です。直感的には、おそらく合わせて主郭
          であったものとみられ、南側を除く三方は切岸状になっています。
           この主郭の南側は2段ほどに削平されており、さらに北側は4〜5段の段築が認め
          られます。これらが、すべて曲輪跡なのかどうかは判断の難しいところですが、南北
          ともに斜面が緩やかなので、何もないということはなかったのではないかと拝察され
          ます。また、天王寺館という別称から、この丘のどこかにもともと天王寺という寺院が
          あった可能性も考えられるでしょう。
           河東田清重は、「信長の野望」シリーズにも登場する白河結城氏の有力一門です
          が、それにしては少々拍子抜けのする城館に感じました。

           
 八坂神社参道入口の説明板。
南側斜面の段築。 
 南から八坂神社本殿を望む。
本殿東側の区画。 
本殿境内と合わせて主郭だったものか。 
 主郭周縁の切岸。
同上。 
 同上。
北側斜面の段築。 
 同上。
北麓から主郭を望む。 


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