ねこ城 (Burg Katz) |
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別称 : ノイカッツェネルンボーゲン城 | |
分類 : 山城(Höhenburg) | |
築城者: カッツェネルンボーゲン伯ヴィルヘルム2世 | |
交通 : ザンクト・ゴアールスハウゼン駅徒歩20分 | |
地図 : (Google マップ) | |
<沿革> 正式名称は「ノイカッツェネルンボーゲン城(Burg Neukatzenelnbogen)」といい、ねこ城とはその 中の「Katz(猫の意)」をとった通称である。1360から1371年にかけて、カッツェネルンボーゲン伯 ヴィルヘルム2世によって築かれた。「ノイ(neu)」は新しいという意味で、対岸のラインフェルス城 に対し、カッツェネルンボーゲン家が新規に城を築いたことを指すものと思われる。また、ねこ城と いう通称については、北西3kmほどにあるねずみ城との対比によるものともいわれている。 1479年にカッツェネルンボーゲン家は無嗣断絶し、最後の当主フィリップ1世の娘婿であった上 ヘッセン方伯ハインリヒ3世が城と遺領を継いだ。1500年にハインリヒ3世の子ヴィルヘルム3世も 嗣子なく世を去ると、従兄弟の下ヘッセン方伯ヴィルヘルム2世がその名跡を継ぎ、分裂していた ヘッセン方伯を統合した。ヴィルヘルム2世の子フィリップ1世が1567年に没すると、ヘッセン方伯 領は再び4人の子息に分割された。17世紀に入ると、4家のうちヘッセン=カッセル家とヘッセン= ダルムシュタット家の間で遺領争いが勃発した。三十年戦争のさなかということもあり、ねこ城は 17世紀前半を中心に攻城戦による破壊と改修を繰り返した。 プファルツ継承戦争中の1692年、ねこ城はフランス国王ルイ14世軍に包囲され、破壊された。 七年戦争中の1758年にもねこ城は再びフランス軍によって占領され、1763年に戦争が終結する と返還された。1806年にナポレオンが侵攻すると、城は爆破され完全に廃墟となった。 1816年、廃墟はナッサウ公の所有となり、1896年には当時の郡長フェルディナント・ベルクに 買い取られた。この後、城の修復が計画的に進められたが、1928年には競売に付されることに なった。1936年からは、ナチスの国家労働奉仕団(Reichsarbeitsdienst)の訓練施設として利用 された。 現在は、日本人の個人所有となっている。 <手記> ねこ城は、奇岩ローレライに近いザンクト・ゴアールスハウゼンの町を見下ろす岩山の中途に 築かれています。ねこ城という変わった通称と、日本人がオーナーであるということで日本でも わりと紹介されやすい城のようです。残念ながら一般公開はされていないということで、下から 見上げるしかありません。 また、「ねこ城」の由来の1つに、下の写真の塔が2つ並んでいるあたりが猫の顔に似ている からというものもあります。明らかに後世のこじつけと思われますが。 |
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ねこ城近望。 |