川井御殿(かわい)
 別称  : 川井御殿丸、小高御殿丸
 分類  : 平山城
 築城者: 徳川家康か
 遺構  : 不詳
 交通  : 相鉄本線三ツ境駅よりバス
       「御殿橋」バス停下車。


       <沿革>
           『新編武蔵国風土記稿』下川井村の項に、「旧跡御殿場」として「むかし東照宮江戸より
          相州高座郡中原御殿に渡御ありしとき、しばしが程此所におはしまし、御茶を立てられし
          と云」とある。このことから、中原御殿と同じく、街道沿いの家康の宿舎として取り立てられ
          たものと推測される。中原御殿は慶長元年(1596)ごろに造営され、3代将軍家光の頃に
          廃されたと伝わる。
           『日本城郭大系』では、付近に「矢場」や「吹上」といった字が残っていることから、家康
          以前にすでに城館が営まれていた可能性を指摘している。


       <手記>
           御殿跡とされているのは、中原街道沿いの緩やかな傾斜地で、現在も『大系』に記され
          ている旧家があります。帷子川に架かる「御殿橋」を渡った先で、中原街道と八王子街道
          が交差しており、交通の要衝であったことがうかがえます。
           館跡自体はとりたてて要害地形というわけではありませんが、お屋敷の谷側は土盛り
          状になっています。『大系』の指摘する通り、徳川氏入部以前から在地領主の館が存在
          した可能性は否めませんが、現況からはそれを裏付けられるようなものは見受けられま
          せん。また、字矢場は御殿跡の北の川沿いに、吹上や矢指といった地名は御殿跡の西
          へ少し上った峠付近にあり、家康以前に城館があったとしても、同じ位置であった可能性
          についても、疑問の余地があろうかと思われます。

           
 御殿跡周辺現況。
御殿橋。 
 


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