八幡原陣城(はちまんばら)
  別称  : 八幡原陣場
  分類  : 平城
 築城者 : 武田信玄
  遺構  : 土塁
  交通  : 長野自動車道長野ICより車で5分。

       <沿革>
           永禄四年(1561)の第四次川中島の合戦で、いわゆる啄木鳥戦法により追いたてられた上杉軍を
          迎え撃つべく、武田軍本隊が築いた陣所の跡である。ここには、八幡原の名の通りもともと八幡社が
          あったが、合戦により破壊された。戦後、武田信玄は海津城主高坂昌信に命じて社殿を復興させた。
           そもそも、この八幡社自体海津城築城に伴って水除けのために山本勘助が勧進したものともいわれ
          るが、勘助については軍師としての実在が疑問視されているため詳細は不明である。


       <手記>
           現在、いわゆる川中島の合戦地として公園整備されている八幡原史跡公園のあちらこちらに、土塁
          の断片を散見することができます。
           また公園内には、合戦時に逆茂木として使用した槐(えんじゅ)がそのまま根付いたとされる逆さ槐
          や、三太刀七太刀の碑などもあります。


 八幡原史跡公園内の土塁。
  同上。 


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