毛馬城(けま)
 別称  : 飯満城
 分類  : 平城
 築城者: 石山本願寺
 遺構  : なし
 交通  : JRおおさか東線城北公園通駅徒歩15分


       <沿革>
           天正四年(1576)、織田信長と石山本願寺の戦いが激化するなか、本願寺方は51か所の
          端城(出城)を設けて徹底抗戦の構えを見せた。『信長公記』にはそのなかの1つに「飯満」
          があり、毛馬を指す(どちらも読みは「けま」)とみられている。
           『日本城郭大系』では、天正六年(1578)に謀反を起こした荒木村重の有岡城を攻撃する
          際、信長方が設けた付城の1つとして「毛馬村」が挙げられていることについて、毛馬城との
          関連を示唆している。ただし、同書にもあるとおり、一般には有岡城にほど近い尼崎市食満
          を指すと考えられている。もし、『大系』の示唆が正しいとすると、同年までの間に織田方が
          本願寺方の毛馬城を奪ったことになる。
           遅くとも、本願寺と信長が講和した天正八年(1580)までに廃されたと推測される。


       <手記>
           都島区毛馬町4丁目にある本願寺派の善福寺が、毛馬城跡に比定されています。ただし、
          実在したかどうか、したとして飯満が毛馬であるのかは確証がなく、場所も推定に過ぎない
          ようです。
           遺構は当然ありません。先人の情報によれば、寺の塀に説明板があるとのことでしたが、
          いつの間にか取り払われてしまったようです。


毛馬城跡に比定される善福寺。


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