| キーンツハイム ( Kientzheim ) |
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| 別称 : シュヴェンディ城 | |
| 分類 : 都城 | |
| 築城者: 不明 | |
| 交通 : コルマール駅からバスに乗り、 「キーンツハイム」下車 |
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| 地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 785年に、ホーネスハイムの名でフルダ修道院の財産台帳に登場するのが史料上の初出と される。12世紀にはエギスハイム=ダグスブルク伯の支配下にあった。1225年に同家が断絶 すると、プフィルト伯が継承したとみられる。 1281年、プフィルト伯はキーンツハイムをハプスブルク家に譲渡し、ホーランズベルク城代の オクセンシュタイン家の統治に委ねられたとみられている。1360年代後半、アンゲラン7世・ド・ クシー率いるフリーカンパニー(傭兵団)に襲われ、町は荒廃した。1347年、キーンツハイムは ハプスブルク家から都市権が与えられ、都城化が進められたとされる。 1399年、ルプフェン家が新たな領主となり、1411年にヨハン・フォン・ルプフェンが都城内に 宮殿を造営した。1562年にはラツァルス・フォン・シュヴェンディがキーンツハイムを購入した。 翌年には宮殿が拡張されているが、1583年にラツァルスが没すると、シュヴェンディ家の人々 がキーンツハイムに居住することはなく、カーケネック家が代官として町を統治した。 1612年、婚姻によりフュルステンベルク=ドナウエッシンゲン家が領主権を継いだが、1679年 にシュヴェンディ家の手に復している。しかし、2年後の1681年には皇帝から所領を没収され、 ジョセフ・ド・モンクラーに与えられた。 城壁など町の防備の多くは、19世紀後半に取り壊された。宮殿(シュヴェンディ城)は、1970 年代に再建された。また1986年には、キーンツハイムにラツァルス・フォン・シュヴェンディ都市 同盟が設立されている。 <手記> キーンツハイムはコルマールの北西郊外にある小さな街です。グーグルマップで見ると城壁 や堀などが残っているようなので、西隣のケゼルスべールを訪れたついでに、歩いて立ち寄り ました。 都城の遺構は断続的によく残っていて、とくに北西端と北東端には城塔が、東辺には2か所 に城門が建っています。そのうち南側のラリ門を抜けると、左手にシュヴェンディ城の宮殿が あります。 旧市街は中近世の街並みの趣を残していて、ワイナリーや宿泊施設もいくつかあるようです が、私が訪れたときはとにかく静かで人影もまばらでした。世界的に有名なコルマールが本命、 ケゼルスベールが連下とすると、キーンツハイムも大穴の観光スポットといってよいでしょう。 ちなみにヴォージュ山脈沿いに北上すると、同じアルザスにキンツハイム(Kintzheim)という 似た名前の村があります。 |
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| ケゼルスベール城からの眺望。 左手奥の集落がキーンツハイム。 |
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| 北西端のブルジョワ塔。 | |
| 北辺の城壁。 | |
| 北辺の堀跡。 | |
| 北辺の城壁と子供広場。 | |
| 北東端の盗賊の塔。 | |
| 同上。 | |
| 聖フェリックスおよび聖レグル礼拝堂。 | |
| ラリ門。 | |
| ラリ門をくぐってシュヴェンディ城の城壁。 | |
| 同上。 | |
| シュヴェンディ城の宮殿。 | |
| 旧市街のようす。 | |
| 同上。 | |
| 南辺の城壁と堀跡。 | |