金吾ヶ城(きんごが)
 別称  : 金吾城、敷地城
 分類  : 山城
 築城者: 朝倉宗滴か
 遺構  : 不詳
 交通  : 加賀温泉駅から車で10分


       <沿革>
           天文二十四年(1555)七月、津葉・南郷・千足の3城を1日で落とした越前の朝倉宗滴は、
          敷地山に城を築いて加賀一向一揆勢と対峙した。金吾ヶ城とは、宗滴の左衛門尉の唐名
          「執金吾」にちなんでいる。
           戦いは長期化したが、当時79歳といわれる高齢の宗滴は陣中で体調を崩し、金吾ヶ城を
          一門の朝倉景隆に任せて帰国したものの、同年九月八日に病没した。名将・宗滴の没後、
          景隆は戦果を挙げることができず、よく弘治二年(1556)四月に幕府の仲介で一揆と和議を
          結んで撤退した。これにより金吾ヶ城も役目を失ったとみられるが、詳細は不明である。


       <手記>
           大聖寺川北側の丘陵地帯の一峰にあり、たしかに大聖寺城(津葉城)や南郷城より一歩
          加賀寄りに位置しています。すぐ脇を林道が通っているので、車でルンルンで訪ねられると
          思ったのですが、城山へ通じる山道の入り口には「加賀アマチュア無線クラブ 関係者以外
          立入禁止」と掲げられていました。
           やむなく断念しましたが、この城跡に辿り着ける有資格者はいったい何人いるのだろうと
          やるせない気持ちでいっぱいになりました^^;

           

金吾ヶ城へ通じる道。立入禁止の札が立っています。


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