金山城(きんざん)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 明智光秀
 遺構  : 石垣、曲輪、土塁、虎口
 交通  : JR福知山線柏原駅からバスに乗り、
      「追入」下車徒歩30分


       <沿革>
           天正三年(1575)、織田家臣明智光秀が黒井城の荻野(赤井)直正を攻めると、八上城主
          波多野秀治は明智方で従軍していたが、翌四年(1576)一月に突如反旗を翻し、明智軍を背後
          から襲って敗走させた(第一次黒井城の戦い)。
           天正六年(1578)九月、体制を整えた明智勢が再び本格的な丹波攻略に乗り出すと、前回の
          苦い経験から、光秀は波多野氏と荻野・赤井氏の連携を阻むため、両勢力の境にある金山に
          陣城を築いた。
           翌天正七年(1579)六月に八上城が、同年八月に黒井城が陥落すると、金山城はその役割を
          失ったとみられる。同年中に丹波国全域が平定され、その前後に廃城となった推測されている
          が、詳しい経緯は不明である。


       <手記>
           金山は多紀郡と氷上郡の境に聳える岩山で、名前の通り鉱脈があったのかもしれませんが、
          今日では奇勝「鬼の架け橋」で知られるハイキングスポットとなっています。登城口は篠山市側
          の追入神社脇と大乗寺脇の大きく2か所ありますが、距離と労力的にはどちらも大差はなさそう
          です。旧鐘ヶ坂トンネル手前に登山者用駐車場があるので、私は追入神社脇から登りました。
           そこからしばらくごく普通の登山をしていくと、やがて園林寺跡に辿り着きます。堂宇跡の石垣
          が残り、境内は曲輪のように削平されていますが、遺構かどうかは不明です。ただ、その裏には
          はっきり腰曲輪とみられる削平地があり、さらにその上は馬場跡と呼ばれる細長い曲輪の土塁
          と虎口があります。
           馬場の最奥で道は二手に分かれ、片方は金山城跡、もう片方は鬼の架け橋方面と書かれて
          いますが、結局ぐるっと1周できるので、どちらから行くかはアズユーライクです。鬼の架け橋から
          回ると、ダイレクトに主郭へと向かいます。
           主郭には、北辺から南辺にかけて断続的に石垣が残っています。架け橋ルートで目にできる
          北辺の石垣は確認しましたが、より残存状況の良いとされる南辺は藪や崩れがあり見そびれて
          しまいました。今から振り返れば、もう少し頑張ってみればよかったと後悔です。
           陣城なので、縄張りとしては対して手の込んだものではありません。主郭の東方に小ピークの
          曲輪がもう1つありますが、主郭と馬場以外の造成はそこまではっきりしていません。これだけの
          岩山なので、あるいはもともと修験道などで開かれていた箇所を取り立てたとも考えられます。
           主郭からは、八上城と黒井城の双方が望めます。ただし、八上城と金山城はお互いに全景が
          見えるのに対し、黒井城と金山城はどちらも頂部しか目にできません。このことから、順序として
          光秀が八上城攻略を優先していた情勢を見て取ることもできるでしょう。

 八上城跡から金山城跡を望む。
主郭北辺の石垣。 
 主郭の頂部。
主郭の標柱と説明板。 
 主郭から黒井城跡を望む。
主郭から八上城跡を望む。 
 主郭から東峰の副郭を望む。
東峰の副郭のようす。 
 東峰の副郭から主郭を望む。
主郭下の腰曲輪。 
 鬼の架け橋。
同上。 
 馬場跡。
馬場跡の虎口と土塁。 
 同じく下から。
虎口下の腰曲輪。 
 園林寺跡。
園林寺跡境内。南端の曲輪跡か。 


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