北原御殿(きたはら)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 相馬昌胤
 遺構  : 門、土塁、堀
 交通  : JR常磐線浪江駅徒歩30分


       <沿革>
           相馬中村藩5代藩主相馬昌胤は、元禄十四年(1701)に婿養子の叙胤に家督を譲り、
          泉田村に北原御殿を建造して隠居した。背景には、同十年(1697)に実子千代松(後の
          7代藩主尊胤)が生まれたことにより、自分の死後の家督争いが生じるのを防ぐ思惑が
          あったとされる。
           昌胤は、享保十三年(1728)に没するまで北原御殿に寓居した。この間、宝永七年
          (1710)には、村名を幾世橋村に改称している。昌胤の死後、ほどなく御殿も廃された
          ものとみられる。


       <手記>
           北原御殿の跡は大聖寺境内となっており、山門は御殿からの移築とされています。
          また背後の墓地奥には、昌胤の墓所もあります。
           境内の裏手には、御殿のものとみられる土塁が残っています。その西詰は堀切状の
          堀底道となっていて、西側斜面下へ通じています。
           大聖寺が建つのは台地の角にあたり、風雅に暮らす隠居所というよりは、中世城館
          によくみられる立地です。土塁や堀の配置も中世城館のそれで、個人的にはもともと
          あった相馬氏ないし在地領主の城館を利用したのではないかな、と感じました。
           ちなみに車で訪れる場合、境内にも駐車場があって南東麓から入れますが、道が
          細いので、西脇を回って境内裏の墓地駐車場に止めるのがおすすめです。私は境内
          に駐車したのですが、出口が狭くてちょっと心配になりました。

           
 御殿跡に建つ大聖寺。
土塁および虎口状の開口部。 
 開口部から続く堀切状の堀底道。
土塁状地形。 


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